[p147]
         第二編   気候と心意生活


     [
気象;大気の状態、および雨・風・雪など大気中で起こる諸現象
季候;その季節の気候。季節や天候。時候。
気候;ある土地で、1年を周期として繰り返される大気の総合状態。現在は気温・降水量・風などの30年間の平均値を気候値とする。
天気;ある場所の、ある時刻の気象状態。気温・湿度・風・雲量などを総合した状態。     ]


    気候とは、多少規則的に周期的な反復を繰り返して現れる、天候の形式の一系列を言う。天候連続の過程が巻き戻される、最も印象深い単位が一年である。これは太陽の周囲を地球が回転する天文学的事実を表している。次の最も著しいのは、地球の自転の表現としての一日である。その他一月の単位、および数年にわたって初めて完全に繰り返される、太陽黒点の周期のようなものもある。こうしてわれわれは、簡単に気候を定義して「天候連鎖の年周類型」と言う事が出来る。一年における四季の特性の連続、およびその反復は、気候の特有な本質を形成する。
    気候の形態は、一年周期における天候の形態の相連続する形式である。こうして粗雑[?]な気候、関連のない[?]湿度多い気候、中和な又は熱帯的な又は海上の気候などの区別を設けることが出来る。こうした気候系列の中には、ある事情の下に一種の天候形態が長い期間にわたって持続する、といったような場合がある。気候の要素中、気候的事実、すなわち周期的にバランスされた天候系列を起こす大気界および大地界の要素はよく理解しなければならない。     [p148]    しかしながら、これらの要素については、常に一定の順序を保ちながら、他の天体界の原因などによって周期的に繰り返されるものならば、気候の要素として認めてもよいという他は、明瞭に知られてはいない。気候の要素は一部分、天候の要素とその名を同じくする。個々の要素は、その瞬間的な性質を見ると天候の要素となるけれども、その永続性と周期性の点から見ると、気候の要素となるものである。例えばいま、ある場所の気圧が高い、あるいは低いというときは、その気圧は天候の要素である。けれども高山の気圧が海面の気圧に比べて常に低いというとき、あるいは気圧の高さが季節に応じて規則的に変化し、新年に至ればさらに同じ循環を始めるというとき、この気圧は気候の要素となる。このようにして、すべての天候要素は、また気候の要素として作用している。けれども、その反対は必ずしも常に成り立つものではない。ある気候要素は常に一定であるか、または厳密な周期性をもつ要素であるために、瞬間的な変化をすることもなく、またおおむねほとんど変化を示さないものである。そういうワケで、これらの要素は天候の要素になり得ないのである。このような恒常的現象[気候要素]の一つは地球の重力である。     [p149]     これは同じ場所では変化のないものであるが、高さの異なる土地、または地理的位置が違う場所では変化する。また月の引力も、天候の現象に影響するのであれば、ただ厳密な周期的影響を与えるに過ぎないものであって、瞬間的な動揺といったものはまったく望むことが出来ない。しかしこれに反して月の光は、月の周期的な満ち欠けによって、また大気の透明度に従って地上の明るさに影響するために、きわめて変化の多い模範的な天候要素となっている。
    このような区別をするのは、問題をいたずらに繁雑にするだけだと思われるかも知れない。けれどもこうした誹謗は、風土心理学の目的に適うものではない。なぜなら、種類、方向および強度を異にするこれらの「力」は、それが作用する「時間」といったものが瞬間的なものか、永続的なものか、あるいは周期的なものであるかによって、まったく異なる、または相反するような作用を身体および精神に対して及ぼすからである。われわれが天候ととしては愉快に感じることも、永続的な気候となると耐え難いものになる、といったことがあるのである。こうした紛[まぎ]らわしい経験は、これら天候と気候の、形態と要素の共に当てはまることなのである。したがって、天候と気候が及ぼす心理的影響については厳密な区別が必要なのである。     [p150]     
    また気候の作用は、人の心理作用の内部において、天候が持っているような作用の範囲をまったく超越して拡大する。天候の作用は時々精神状態に現れる。これに対して気候の作用といったものが、常に永続的・平均的な精神状態の上に作用するものだとすると、われわれは、すでに説明したような天候と気候の作用の激しい違いを考えなくても、なお論理的に、一種の単純な範囲の差として二者を観察することが出来る。けれども気候は、永続的な精神状態に作用すると同時に、われわれの精神的特性、天賦の素質や気質、性格といった、恒常的な心理的人格の基礎にも影響を及ぼしている。従って気候においては、「現在のこの心理的特性に対する関係」といったような、天候においてはまったく存在しない問題を提起する。[天候においても十分に心理状態に影響を及ぼすが、こうした影響の無意識の基礎にあるのが気候だということだ。とすると、天候も心理・精神状態に十分関係している。瞬間的で一時的な意味でそう言える。]  これを他の方面において見ると、心理・精神状態に動揺をもたらす雑多な経験が、瞬間的・一時的な天候がもたらす原因によってひき起こされる。そしてこうした動揺といったものが、その周期的に繰り返される連続によってあらわになったものがある。そしてこの周期的連続こそが気候の根本的基準であるがゆえに、ここに天候においては論議されることのない広範な問題、すなわち「気候的周期と心理的周期との間の関係」の問題を生み出す。
    またこれと同時に、気候の形態とその要素との間の非常に重要な区別も、    [p150]    天候の場合における区別のように十分に利用できない関係にあるために、むしろ気候の作用に観察の場合には、その作用が実際に発現する心理的方向を中心点と考えて、これに基づいて、この問題の実際的関係を十分に現す分類の基礎を作るのが可能である。


    <  われわれの気候の定義は偉大な気候学の権威ハンの定義と、ただ表面上ことなるのみである。ハンは、気候を「一つの場所における大気の平均的な状態の概念」と定めた。大気の「平均状態」または「一般状態」あるいは「類型」などにおいて表されるものが、一般に、大気の周期的差異に関連させて初めて論じることが出来る、というのはもちろんである。こうした気候の概念の中で、季節の移り変わりがもっとも重要な意味を持っている。なぜなら、ある場所における冬の寒冷と夏の暑熱の差から、その平均を算出して、これをその地の気候というのではないからである。「平均」という用語は、人が気候を決める場合に、同じような天候周期の内部において、その平均状態より多少の動揺があるときにのみ、用いられるものなのである。この平均的な大気の状態という考え方の、基礎となる時間の単位は主に一年である。人間の生活における一年という実際的な意義も、その特性から、気候を単位として成立したものなのである。われわれはまた、ある季節の気候を、例えば冬の気候と言う。この冬という用語の付加は、気候という概念が多少変化して示されている。むしろこの場合には長衣平均の気候の特性を表す用語として「季候(ウイツテルング)」という概念を作って、気候と天候との間の過度状態とするのが可能である。もしも気候というのを、恒常的で平均的な連続として考えると、たとえば高地の気候などは、普段の空気運動のために「清新な気候」としてその特性を示すことが出来る。しかしこれでは気候というのが、全体として十分に観察されていないということは明らかである。ただ、一つの特に際立った気候の特徴、またはある一つの目的に適う特に重要な気候の特性、すなわち気候の「要素」が問題になるのである。一年とは異なる気候の循環に基づく考え方を「日週気候」と言う。これについては後節で述べるところがある。  >





            第一章   気候の変化



    気候による心理状態、特に精神衛生がこうむる影響は、これと気候の変化とが結合する場合に認められる。このような心理状態の変化には二通りある。第一、人が生活する場所の気候の変化。第二に、人が住所を移転して他の場所の気候に入った場合。前者を気候の「変動」といい、後者を気候の「変換」という。そしてこの両者によって、われわれは気候と心理状態との関係を研究する可能性を得る。


        第一節  気候の変動

    その天候の移り変わりといったものが、他の年と同じということがない。また、こうした天候の差異といったものを除外しても、各季節の平均的特性がまったく同じといったこともほとんどない。私たちは、涼しい夏と暑い夏、霜多き冬と湿潤で緩和された冬、晴れた秋と霜多い秋、夏のような春と冬のような春を知っている。また、これらは様々な方法で相結合している。    [p154]    穏やかな冬の後に暑い夏が来るか、あるいは、長く暖かい秋の後に酷寒の冬が続くかどうかなどの問題は、遠い昔から議論されたところである。またこのような年周類型のそれぞれは、互いに相連絡し移り変わって行くようにも見える。例えば、温和な冬の後に続く暑い夏の一年と、酷寒の冬に続く湿潤で涼しい夏との一年が、互いに入れ替わりながら現れるようにも、思えてくる。  [ * 2]
    年周気候という、このような巡る年ごとの気候の変化は、心理的健康に影響するのだろうか。もしもわれわれが世間の人々の、気候に関する嘆き声を価値ある経験と考えるときには、我々のこの問題は少しも解決されることがない。天候に関する偶然の不満足は、あらゆる種類の動機から起こる。このようなわけで天候に対する偶然の不満足は、あらゆる種類の動機から起こる。こうして多数の人々は、巡る季節の気候的な特性に対して久しい怨恨をいだく。夏の暑熱と冬の厳冬との対照は、ある人々には等しく耐えがたいように思われる。また、他の人々にとっては、年中にわたる涼しい湿潤な気候を排すべく、また、第三の人々は、暑き夏に続く温和にして湿気多き冬をいやがる。これに反して気候の変化を、たやすく愉快な興奮として感じる人は少ない。これらの人々は、酷寒の冬と暑熱の夏との結合をも喜ぶ。実際、このような気候の結合状態が、健康状態に良い結果をもたらすのは確からしい。    [p155]    しかしこれが善し悪しの、特に悪い点を経験として持ちだすのは大いに注意しなければならない。第一、この場合、もっとも重大な記憶錯誤の侵入することが多い。ただ一回の遠足の時に降雨があったために、その時の気候を追想するたびに「湿潤にして寒冷な夏」と思い出すことが多い。日常の観察によれば多くの人々が、短い期間の間すらも、実際の天候を記憶することは非常に困難である。天候に対する期待が激しく失望させられた、こうした一日は、彼の季節に対する記憶の上に、一つの覆面のように横たわる。第二に、多数の人々は、愉快な経験よりも不快な経験をの後々まで記憶している。こうして晴天は忘れられ、わずかな悪天候がその季節の注意すべき特性として思いだされてくる。第三に、このようにして出来事の後から生じる非常に変形した記憶の表象は、様々な他の関係から錯綜し混乱した分かれ道に迷い込み、次第に間接的に人間の心身の状態に影響するようになる。一つの気候類型は、多くの人々に対して収穫の期待、海外の収穫に対する投機、建築設計、旅行の意向、休養の希望、快楽の喜びなどを捨てさせ、延ばし、変化させる。失望、憤怒、不快およびすべてのいらだちあせる期待は、そうした結果として生じる。第四に、気候と健康状態との関係でなお考えなければならないのは、   [p156]   直接の気候作用とは何ら関係がない偶然の健康障害との関係である。加答児性[*3]、およびリューマチス性の病症は、湿潤な天候の季節と関係していて、また胃腸の障害は暑い時期に多い。こうしてこの種の天候に感じやすい人々は、その年を他の年よりも少し悪く感じている。第五に、風景の特性も天候系列において著しい影響を及ぼしている。こうしたことは、我々が各地の季節の結果からよく知るところである。空が常に曇る地域で「楽しみなき冬」と言うようなことは、風景の方面から気候を表現すると共にその価値判断をしている。第六に、人為的空気の要素を考える必要がある。われわれは生活の大部分を住居の中で過ごすことを余儀なくされていて、またそれに慣れている。こうして酷寒の冬、および酷暑の夏に感じるその影響は、居室の位置(北向きか西向か)住室内の暖炉の勢力、階層の関係(冷やかな土間、暑い屋根裏など)によって多く定められる。第七に、容易に侵入する錯誤の関係を忘れてはならない。例えば職業や社交などの理由によって起こる憂欝な感情が、そのときの空気や、またその経験を暗い色に染めてしまう場合がそうである。
  気候の変動の範囲をおおよそであっても、あらかじめ定めておくのは、気候と精神生活との関係を考察する上で多少必要である。   [p157]   なぜなら、常に多数の経験の中から数個の確実な経験を選びだすことが出来るからである。実際、平均的な心理的健康状態に現れる、年周気候の心理的反応は、三通りの気候形式に従って区別することが出来る。第一種の人々は「対照気候」を好む。対照気候とは、夏と冬とがその特性を最も強く現わす場合の気候系列であって、すなわち酷寒の冬と酷暑の夏と、そして短い過渡期とがある。このような人々の健康状態は健康状態は、冬と夏の季節がその特性を和らげるに従って悪くなる。すなわち両者が互いに調和して温和な冬、涼しい夏、そしてこの両者の区別が互いに無くなるに従って、ますます不快になる。第二種の人々は、夏冬の平均状態をもって最も適当な健康状態とする。そして冬がますます寒くなって、夏がますます暑くなるに従ってその価値を減少する。またこれら二極端 の間に、第三種の特殊な人々が入って来る。この種の人々は、ある季節の過度の特性が健康に最も良いと思っている。例えば暑い夏を好むか、あるいは寒い冬を好むかという具合である。そして、それ以外の季節は、なるべくこの好みの季節に近いほど良いとされる。すなわちこうした人々は、暑い夏と温和な冬を好み、また他の人々は、寒い冬と涼しい夏とを心理的に最良の季節の移り替わりとしているのである。この種の人々は、   [p158] いかなる場合でも夏より冬を好み、夏もなるべく夏らしくない涼しい気候が耐えやすいとする人か、または反対に、いかなる場合でも夏らしい暑い気候を好む人たちである。
  このように分解して理解すると、これらの三群は何ら困難もなく解釈される。彼らの反応は明らかに一定の気候要素(継続的温暖、乾燥、寒冷、その他)が、心理的健康状態に不適当に影響しているという事が原因になっている。そしてこのような要素が気候の類型中に存在しないほど、心理的状態は良くなる。一つの気候要素は、その反対の要素の作用が人間に無関係になるほど、ますます有利に積極的に作用し得る。ある気候要素の作用が、興奮状態から無関係状態に落下するために起こる、健康状態の変化は、無関係の状態から鎮静状態にまで降下するために起こるものと、その価値を同じくする。また科学的唯物論の見地によらずとも、これらの反応形式の人々は、他の影響によって気候の作用が混乱されないことについて、最上の保証を与えている。なぜなら、夏あるいは冬における健康状態の高進、あるいは沈滞は、不意に生起する社会的、職業的、およびその他のすべての補正要素にまったく侵されることなく、   [p159]   確実に保存されているからである。「不断のカタル[加答児]、非常な仕事の負担、わずらわしい社交などがあるにも拘らず、私は常に冬季を夏季よりも愉快に感じる」とこの種の一人は言う。彼の周囲の人々も、長年の経験としてこのことを是認し、未だ一回の例外をも観察せずと言う。
  前述の三種の年周気候は、これら四群の人々の心理的反応に対応している。そして最後の二つの反応については、温度が決定的な気候の要素であることを先に仮定すると、もちろん最初からそうだと確定したものではないが、我々は簡単に気候の心理的関係について、対照的な人、平均的な人、温暖的な人、寒冷的な人などと呼ぶことが出来る。また前に挙げた障害となる要素を細心に注意すると、だれにとっても、その友人仲間からこの四種の反応方法のそれぞれについて模範的好例を発見することが出来る。
  確かにこの場合に浮かんでくるのは周期性の問題である。第三および第四の反応形式[夏か冬か]を、一つの要素の反応形式に帰着させることによって、どこまで事実を説明できるかの問題は、先ず周期の問題と関連させて評価することが出来る。また第一[対照]および第二[平均]の形式においても要素の作用による経験的反応の説明は考えられることである。たとえば対照を   [p160]   喜ぶのは、厳冬および盛夏の特徴である、空気の乾燥あるいは豊富な光線に基づくものであると説明できる。また平均を好むのは、一定の平均温度の愉快な作用または激しい空気の運動[?]によるものと考えることができる。しかしここでも周期性の問題は残る。こうしてすべての影響の形態において、それが単なる気候変動の効果として取り扱われるべきか、あるいはかつて行われた気候変換の回想として取り扱うべきかという問題を研究しないわけにはいかなくなる。対照気候、平均気候、温暖気候、寒冷気候などは、地理的な気候形態として人間が同時に遭遇するものである。しかしながら、ある一つの気候内に成長し、その気候に慣れた身体が他の気候に置かれたときに、前の気候形態の特性の痕跡の出現に対して、愉快な心理的健康状態の反応をするかどうかは疑問である。このような場合は、すべて気候変換および気候適応作用の見地から了解すべきことである。今日流行している文明人の広い範囲の内地旅行によって、我々はまさに気候変動の表面的・心理的作用の多くの材料を収集することが出来る。

    <  一  地方の気候において、土地の耕作状態の変化   [p161]   (山林の伐採と植替え、沼沢の排水、沼地の耕作など)は、比較的短期間の間だけ著しい変化を起こし得る。しかし、これと心理的変化を関連させることは、ほとんど不可能である。しかもまた若干の歳月の経過が、これに関係する。こうした場合における心理的状態の変化については、単に一つの要素に基づくと思う者はいない。そしてこうした場合には、なおも風景的印象の変化、生理的健康状態の改良(沼沢の排水のような)、物質的および社会的困難の除去などは、気づかれることのないまま、かすかにその作用を現してくるのである。

  精神病者が病院内部にいるときの人為的環境は、少なくとも二三の有害な気候要素を除去する可能性を与える。こうした場合、日常生活の職業的および社交的要素は除かれて、自然な決定要素だけが作用する。しかしまた、これらの影響は、そのときの心理状態に関係することを見過ごしてはならない。外部の影響によって起こされる変動が認められる根本的な仮定、すなわち心理的過程の健全な平均[恒常性]は、これらの精神病の人々には欠けている。精神病は実際、激しい心的状態の変動をもって経過する。そしてこの心的状態の変動は、我々の観察を著しく妨害する要素である。(しかし、一年にわたってこうした状態が長く続くということも、よくあることである)また、異なる個性を持つ多くの患者において、同じような変動が同時に起こる、いわゆる「群衆現象」などの観察において、こうした、恒常性に欠けるといった障害は大部分消し去ることが出来る。また、このような病理学的な場合においても、周期性の問題を考慮しなければ、これらの現象をよく理解するが出来ない。   [p162]   




        第二節  気候の変換



     我々が居住地を移り替えることによって、馴れた気候を捨てて新しい気候内に入ると共に心理的変化を起こすという事は、我々にとって重大かつ明白な基礎経験として現れる。われわれは成功するも失敗するも、その地において「気候適応」の必要に迫られる。また、このような場合には、気候の効果を鈍くしたり、あるいは鋭くするような他の要素が存在することが多い。しかし同じ生活舞台における気候変動の場合よりも、舞台の移住による心理的差異はすこぶる著しい。こうした事情は、社交範囲、栄養、性的慣習、生理的罹病法などの変化の違いが、居住地を移り替えること[気候変換]によって起こることを考えると、容易に了解される。
  われわれは気候変換による肉体[有機体]の反応を三段階に区別できる。第一段は、新しい気候の変化の中で、彼自身が適当な生活習慣を習得できずに、心的平均の騒乱が支配する状態。第二段は、生活方法は気候に適応するが、いまなお、心的な平均を保てない状態。第三段は、完全に気候適応を遂げた状態。このうちの第二段の状態は、   [p163]   純粋な気候作用を確定する適当な機会を提供する。すなわちこの状態は、第一段における気候以外の諸影響を離脱して、全く気候に適応するに至る第三段に進む過渡期の状態のために、その間に常に多くの興味ある研究をすることが出来る。
  われわれが気候の変動の際に見たような騒乱的影響を除去するには、この気候変換の場合にも、その様々なケースを十分に選ぶことによって、もちろん可能である。このような目的のために用意される気候の類型は、温帯の気候と熱帯または寒帯の気候、大洋の気候と大陸の気候、低地の気候とアルプス山上の気候などにみることが出来る。

  一  寒帯および亜寒帯の気候熱。


  極圏以北に横たわるすべての寒帯地方には、住民はいない。ただシベリアの一地方にのみ、わずかな民が住むだけである。南極地方は事実上問題にならない。こうした事実は、極地の気候が耐えがたいためというよりも、むしろ人類の生存に必要な条件、たとえば営農および住居などに欠けるためである。温帯の気候中においても、多くの人為的手段を用いてようやく生活出来るようになる。   [p164]   探検者の経験によって結論し得るのは、寒帯気候の直接の心的作用が、その中で生存することを不可能とはしないまでも、少なくとも長期の滞在は、非常に困難だという事である。

  こうした地域においては不適当な心理的状態を起こさせるために、探検隊の一行は慣習的勢力を消耗するものと考えられる。それにもかかわらず、極地の気候の鎮静作用は、人々を圧迫するように思われる。風景の印象は確かにその作用の重大な原因である。極地においては、色彩の美は偶然の瞬間に現れるだけであって、極地の夜、または氷原の恐ろしい単調さは人間を圧迫する。また、人の数が限られているということ、および絶えず勢力を浪費することから起こる、ものさびしくひっそりした感じ[寂寥:せきりょう]も、同じ意味の作用をもたらす。このほか委黄病的[一種の貧血、皮膚や粘膜が青白くなる]な顔色は、少なくとも生命維持の光線に欠乏する、極地の夜の直接の気候的作用であることは確かである。寒気に対しては、防寒着、人工的温熱、および自身の体温発生方法などで抵抗出来る。けれども日光は、感覚に対して他のもので代用出来ても、生活の情調に対しては、そうとはならない。次第に増加する沈鬱、疲労、催眠、精神的実行力および精神的緊張力の弛緩、記憶減退、自身の運命に対する無関与などは、   [p165]   寒帯気候の作用である。しかしまた、これは絶えず新しい予備の意志を呼び集め、なかば麻痺的にあることが多い。

  <  極地の冬において最も強く現れる「極地精神病」について、心理的弛緩と興奮とのいずれの徴候が主に起こるかに関する、極地旅行者の報告はマチマチで一定しない。この場合、個人的な差異があるのは当然である。そしてこうした場合の心理は、気候の麻痺作用によるようである。よく述べられる憤怒の破裂といったことは、こうした心理的麻痺から逃れようと、強く迫る努力の結果であると見ることができる。人間が意志の緊張によって支配できる心理的弛緩には、催眠と不快と短気とが混在する。また、失望および物資の欠乏などが原因となって興奮を起こすことは、よく知られている。 > 

  亜寒帯の地方は、北半球の三大陸共に住民を有し、スカンジナビア地方では、高度な文明の存在するのが見られる。しかしながら亜寒帯の生活は、なおも明瞭な気候作用の痕跡を示している。こうして極地の昼夜のような決定的な対照は、この地方においてはすでに消滅し、従って各種の攪乱作用は著しく増加する。住民を有する亜寒帯、すなわち極圏の周囲の地方は、文化状態、たとえばグリーンランドとノルウェーのような差異によって、または純粋な気候的差異、すなわち海洋的と大陸的との気候の差異、   [p166]   たとえばノルウェーと西シベリアのような極端に異なる生活条件を示している。そしてこの場合、温帯と寒帯との気候の対照に加えて、内地の気候と海浜との気候とが対照混在している。経験によれば大陸的色彩を帯びる気候は、それに適応しようとする者にとっては、寒気が非常に激しいにもかかわらず、困難の度合いは少ない。このような地方においては、空気が光に満ちていることと、乾燥していることとが気候の要素となる。これらの作用が数か月にわたって気候を支配するときは、特に好適な作用を示す。そしてこの場合の寒気は。適当な衣服と住居によって十分保護され得る。温和であるが湿気多く、塵埃や雲が多くて光に乏しい海洋気候の特性は、身体に対して、はなはだ低い平均温度および昼夜の光の欠乏による欠陥を補うには非常に困難である。文化の刺激によって妨げられることがない限り、このような心理的弛緩現象は、大陸的亜寒帯の気候よりも、海洋的亜寒帯の気候において極めて著しく現れる。すなわちノルウェー人が西シベリア人あるいはラプラドル[カナダ北東部の大きな半島]人よりもこうした現象を生じやすいという事は、ほとんど証明を要しない。緯度60度以下の地方において、亜寒帯気候は温帯気候と変換されることが多いために、概してなんら注意すべき健康上の変化を及ぼすことがない。  [p167]  緯度にしてストックホルムに見るような暗い、冬の風景的作用およびその感覚的効果を、触動的で生理的な効果から区別するのは、きわめて困難である。この区別を示す最良の方法は、その作用の継続の有様を精査することである。感覚の作用は印象の変化と共に変化する。すなわち冬の暗黒によって圧迫された情緒は、日の長さの増加につれて快活となる。けれどもその間に、血色素の過剰と他の組織の特性との上に影響する心理状態の抑圧は、自然に長く後にまで作用し、従ってその結果も遅く現れる。口頭の報告によれば、人が極圏に近づくほど、冬における心理的沈鬱が減少するのは確かなようである[??、心理に表面と底辺、表と裏があって、時間的・心理的なズレがあって、これが情緒に現れている?]。こうした状態は、暗黒が気候を支配するに至りて次第に現れ、夏の初めに至るまで継続する。このような関係において、触動的・生理的作用と感覚的・直感的作用、もしくは気候的作用と風景的作用とを全く純粋に区別することはほとんど不可能である。

  健康な人においては、亜寒帯の冬によって生ずる心理的沈鬱および障害は、次の夏に至って十分に回復される。また気候変換 [移住]の際には、亜寒帯の夏はしばしば様々な困難を惹き起こす。夏には、明るい夜が一種の慢性の睡眠不足の原因になる。昼夜を問わず入って来る光が強い心理的興奮を起こすからである。   [p168]   こうした作用が長く続くときは、異常な影響を起こすに至る。

   < もちろん、以前からこうした気候に適応している場合、また、民族の特性などは、その効果において著しい違いが生ずるのは明らかである。大陸的亜寒帯の気候は、非常な寒気のために北部フランス人のような、海浜の気候に慣れた人々にとっては、同じ緯度(50度)に住んでいても、激しい温度の変化に慣れた南ロシアの大陸の人々よりも、強い不愉快の感じをもたらす。また、この反対の場合は、なおも常に困難を感じるようである。こうして考えると温度の作用は、単独で何かを決定するという事がなく、湿気と射光とが大いに意味を持つということが明らかである。気候変換[移住]の出発点が亜熱帯に近づくにつれて、寒気はますます習慣的健康の障害の原因になることは明らかである。その作用の一部分は、厳冬に耐えることに不慣れな人々に対する、寒冷の感覚的作用によるもので、他の部分は、おびただしい防寒装置、すなわち暖かい部屋、衣服、および選択する栄養などによって起こる不快感が原因である。>


      二  熱帯的気候。

熱帯へと向かう気候の変換は、二通りの形式をとる。第一は、亜寒帯、温帯および亜熱帯などの気候から、熱帯の気候に移住する場合である。すなわち、高緯度から低緯度に移住することである。しかしながら今日重要な文化生活は、北半球に存在するために、この場合は、主に「南方の気候」に移転する場合となる。このような二通り[??]の住所変換を、毎年数千の人々が職業上または職務上の必要に迫られて行っている。  [p169]   こうして南方の気候は、毎年数千の人々によってその気候的特性が研究されている。しかしまた熱帯気候は、熱帯地方が実利以外の他の関係、すなわち純粋な理想的興味を有するゆえに、探検家、自然科学者、文化研究者、世界旅行者などの注意をひく。このような南方気候の概念は、その研究の性質上、あまりに雑然としていて、まとまりのないものであるが、それでもそれは、「熱帯気候」としては明瞭に区分される気候類型を生み出している。こうしてわれわれは、熱帯気候に変換する場合の観察を、この類型にうまく当てはめて遂行できるのである。

  他の気候から熱帯気候に移転するときは、心理的健康状態はみな非常に強い刺激を受ける。そしてその影響は悪い結果をもたらす。またこの際には確かに間接の作用も混入してくる。熱帯病(特に心臓と消化器系は非常な苦痛を受け、多くの他の伝染病にかかる危険がある)、全く変化した生理的生活方法(衣服と栄養の変化)および異なる文化的生活方法(不潔、不便、民族の風采および言語の異様なこと、精神的生活の欠乏、全く異なる社会関係など)は、実にそのすべてがイヤ気を催すものではない。多数のもの、たとえば土民の生活などは、むしろ興味に富むもので見る者を引き寄せる。  [170]  また極地に向かう気候変換とは全く反対なのは、この場合、風景の印象がその興味の要素となって、この珍奇で豊かな刺激が他の欠乏を一時ほとんど忘れさせてしまう。しかし全体の結果として常に残るのは、精神衛生上の頽廃である。特にこの現象は、すべての個人および民族にまったく同じような色彩でもって現れるので、その表面上の外形はどのように変化しても、本質は純粋な気候的影響であることを容易に理解できるようになる。

  心理的状態が最も深い影響を受ける時期は、多くの経験によれば、滞在を初めてから二、三年目の時期である。また、雨季にあっては、その一年のうちに現れる。この変化は感情と感覚を興奮させ、同時に実行能力の減退をもたらす。これは特に精神の弛緩を伴うものであるが、寒帯に見るような単純な倦怠や無感覚的性質のものではなくて、南風[フェーン]、雷雨、シロッコなどの作用に見るような、不安で刺激されやすい性質を帯びている。すなわち我々は、暑熱および湿気などの客観的要素の類似を観察して、熱帯気候の作用をただちに、永続するシロッコ的作用の一種と考えることが出来るのである。また、熱帯の生活条件に、生活方法を合理的に適応させる際にも、  [p171]  以上のような作用は明白に現れる。不適当な行為、特に肉食およびアルコール中毒は、初め特に興奮する刺激の徴候をもって弛緩を妨げる。しかし、しばらくの後、なおも非常に猛烈な弛緩の襲来を見る。

   < 健康状態の障害が、二年目または三年目にその頂点に達するのが常とするのは、疑うことのできないことであるが、その事情は以下のように考えればただちに了解される。初め風景的刺激と民族的刺激とは同等に働いて、その固有の興奮作用を現わす。新しい生活方法および道徳的な意志の緊張は、著しい危険を伴う。しかし、しばらくして次第に人々は、主観的に健康状態の欠乏に慣れるに至る。こうした健康状態の変化は、一部分本人にも知らない生理上の特性によるものである。また、二年目に至って様々な生理的疾病がその頂点に達するのを常とする事実は、確かに考慮する必要がある。特に健康に非常な障害を与えるマラリアのようなものがそうである。しかしながら、このような事情がない場合も、二年目と三年目が不快であることに変わりがない。
  熱帯における健康障害の原因は、今日比較的に明らかとなっている。熱帯気候の主要素は、その高い温度であることは明らかであるけれども、、これがしばしば非常な湿気と結合する。こうした結合が健康障害の重大な要因となることは、雨季における健康衰退によって明らかであり、また、蒸暑い部屋、食器洗い所および浴室などについて、前章で観察した結果も、それを明らかにしている。もしも高温度の場合に乾燥するものとして、かつ、毎年涼しく乾燥する季節をもって季節が巡るとすると、  [p172]  健康障害は大陸気候に見るような、単に過渡的なものであって、気候の作用というよりも、むしろ天候の作用として現れる。
  しかしながらその効果は、はなはだ根深いものであって、熱帯地方に滞在する長い年月の間、または一生持続するものである。熱帯の生活において現れる、このような永続的健康障害は、知覚し得る限りにおいて、客観的な各種の健康状態の変化と厳密に区別せざるを得ない。この場合、慢性の生理的疾病およびその余害を受けることがある。また、熱帯地方に従軍する間に、純粋の心理的障害のみを受けることもある。北方人種が比較的短期間の熱帯生活によって影響される悪い結果は、不治の神経衰弱、情緒的および知的生活において、刺激されやすい衰弱などがある。
  こうした興奮と弛緩の特有の徴候は、前にも述べたように感覚的および感情的易感性の増加と、それに伴う生理的随伴現象――頭痛、めまい、神経痛、下痢、充血、戦慄など―― および注意と集中の困難、記憶減衰、茫然たる顔色、不安な疲労、倦怠および憤怒などのような、不安定な情緒、急激な疲労、夢多き睡眠、心配と心配する夢、食事に対する拒食と貪食などをひきおこす。また、これらの現象から様々に結合された心象が、ある境遇の下にいかなる程度まで、精神病的段階に上り得るのかは、後節において説明する。 >  

  熱帯気候のこうした心理的作用を、気候の直接の効果だとすると、その原因は主に暑熱と湿気との結合に帰せざるを得ない。そしてこれが正しいとすると、  [p173]  すなわち、熱帯の空気が永続的であって、これが、特に強力なシロッコの天候や継続する食器洗い所の空気のような、人工的大気の状態と比較できるものだとすると、我々にとっての熱帯気候の作用は、一つの慢性的な天候の作用に他ならない。しかしそうだとすると、我々はいかなる範囲において、永続的天候を気候と呼び、また、その作用を気候の作用と呼ぶべきかという疑問が生まれる。四、五週間、または三、四ヶ月をもってそう言うのだろうか。そうではない。ここで我々は、本章の初めに定めた気候の概念に服従しなければならない。年々繰り返す天候の系列が気候なのである。熱帯において生起する天候、一周または一ケ月にわたるっ暑熱と湿気とを帯びた季節は、その効果において熱帯気候の効果と同じではない。天候と気候とは同じような健康障害を起こすけれども、天候は慢性的にはならない。時には慢性的な効果を起こすことがあるけれども、その勢力はとても微かで弱い。これを定めるには、以下の事実に注意しなければならない。熱帯の天候は、一年全体に充満するものである。熱帯の一年は、一般にただ乾季と雨季との変換に過ぎない。すなわち暑熱の天候と、湿潤にして温暖な天候とを示している。乾燥した清涼な季節または湿潤な清涼な季節であって、その間を中断されるということがない。  [p174]  居所の変更によって、規則的にこのような中断をするときは、熱帯気候の健康障害が著しく緩和されるということは、数々の例によって知られている。山中に約一週間滞在すること、時々温帯地方の故郷に帰ることなどは、熱帯気候にすこぶるよく耐えられる助けとなる。このようにして熱帯気候は、簡単に一種の亜熱帯の気候に変形され、暑熱の時間の中に清涼の時間を挿入することが出来る。

   < もちろん、このような比較的な意味での清涼は、客観的に見るとなお通常の暑熱と変わらない。普通、肉体の温熱の調整法によると、比較的わずかな平均温度の低下も、主観的には涼しく感じるのみならず、また客観的にも肉体の温熱補正の一時的な清涼として作用する。たとえばヒマラヤ山中の保養所ダージーリングは、2000mを超える高さにあって、年間平均温度は11度半である。しかるにスイス・モントルーの平均温度は10度に過ぎない。このような熱帯天候によって不適当に変化した健康状態は、以上のような全体の経過によって味わられる清涼の感覚的刺激によって改良されるのみならず、あたかも重病人が沐浴または床替えの後に快感を覚えるのと同じで、また、継続的な清涼の触動的刺激によって、神経系統の健康を回復するのである。
  これらは主に白人について当てはまることである。黒人およびマレー人は、熱帯気候が彼らの生活の舞台となっている。こうして彼らの身体は、特殊な自然の親和力を熱帯気候に対して持っているのだろうか、あるいは、北方の気候に適応した黒人が熱帯の気候に復帰したとき、  [p175]  何か著しい健康障害を起こさないかどうか、というのは興味のある問題である。私は、いまだこれについて信用できる経験の報告に接したことがない。しかしながら多分、これらの問題を取り扱える人が、何かの暗示に励まされて事実を報告するに至るであろう。白人の一分枝たるインド人も、同じく古えより今日に至るまで熱帯に住んでいる。黄色人種および銅色人種[アメリカインディアン]は、亜寒帯から熱帯に至るまで植民している。亜寒帯および温帯の気候に適応したこれら人種の人々が、熱帯地方に移住したとき、それが健康に及ぼす影響については、いまだ正確な報告はない。外見上、こうした障害はさほど強いものではないらしい。たぶんそれは、著しいヒフの色の自然な保護に関係しているのかも知れない。しかし、熱帯地方を旅行する白人は、ただ断片的にこの着色をえるのであって、その現象はきわめて変わりやすいのである。

  次に単に南方の気候に変換[移住]すること、すなわち亜寒帯または北方の気候から熱帯の気候に達することなく、亜熱帯もしくは南方の温帯の気候中に進むとき、たとえば中央ヨーロッパからエジプトへ、または北部および中央ヨーロッパからイタリーへ旅行する場合のように、その心理的健康に及ぼす作用は、ただ、熱帯気候の作用の弱いものと考えられるだろうか。このような気候変換は、しばしば身体と精神の健康を増進させることがあるために、以上[熱帯気候の延長]の考えはもちろん否定されるべきである。こうした場合における効果は、一部分は間接の作用、たとえばリューマチおよびカタル[粘膜の滲出性炎症]的疾病ないしそれに伴なって生じる沈鬱などの消失を生じ、一部分は風景の影響、南方の太陽の輝きやその晴れて明るいさまは、様々な愉しく快い印象を与える。気分的にも感情的にもそうである。どこか心の中からそうした印象が浮かび上がってくる。しかし、強くはないにしても、  [p176]  一種の熱帯的な気候障害によって不快な感じにおちいるときは、以上の作用はほとんど価値のないものになってしまう。実際、北方の気候から亜熱帯地方の気候に至るまでは、熱帯気候の単調を示すことがない。亜熱帯の地方においては、乾季と湿季の区別と共に、暑熱と清涼との間の移り変わりの季節が存在する。そうした意味で、同一の地方内において気候の変換が存在する。
  熱帯地方は、以下のような最低および最高平均気温を現わす。ザンジバル(アフリカ中東部の諸島・海浜: 緯度: 06°)は7月に24.7度、2月に28.2°、カルカッタ(インド東北東・海浜:緯度22.5°)は1月に18.4°、5月に29.8°、サンサルバドル(中央アメリカ・海浜:緯度13°)は、11月に21.4°、4月に24.6°、リオデジャネイロ(南アメリカ中東部・海浜:緯度-23°)は、8月に19.7°、2月に25.6°である。また、最高および最低の極数はカルカッタで6.8°と42.3°となる。しかるに、北緯34°のビスクラ(北アフリカ・少し内陸:緯度34°)辺りにおいては、1月の平均温度10.5°、7月は31.4°である。その差は20.9°となり、カルカッタの11.4°、リオデジャネイロの6.9°、ザンジバルの3.5°、サンサルバドルの3.2°などのなどの差に比べて極めて甚大である。なお北方に進めば、最高最低の気温の差は小さいけれども、短い暑熱の季節における清涼の特性はますます強く現れる。ルガノ(スイス・内陸:北緯46°)においては、1月の平均は1.1°、7月は21.5°である。ビスクラとルガノの中間地方で、マルタ(北緯35°)は、1月と7月の平均は、それぞれ13°と26.2°で、ナポリ((港:北緯40°)は8.2°と25.7°、ニース(港:北緯43°)は8.4°と23.9°である。また、最高と最低の極数の差は、きわめて大きい。  [p177]  カルカッタの6.8°と42.3°との差はすでに述べた。また、エジプトのカイロでは零下2°と47.3°にして、ミラノでは零下17°と37°である。これらの差は、それぞれ35.5°および49.3°と54°である。カルカッタとその後の二地を比べると、カイロは8.8°、ミラノは23°低く寒い。 [熱帯とは南北の回帰線23°に挟まれた地域。カルカッタ・北22.5、カイロ・北30°、ミラノ・北45°] また、カイロの最高気温は、カルカッタよりも高く、ミラノの最高気温もカルカッタに対して5.3°低いだけである。これらの例によって、熱帯気候と単なる南方気候との間の気候特性の差を十分知ることが出来る。一日および一か月内の温度の変化も、まったくこれに相応している。 >  

  南方の気候へ移転する場合には、その出発点と移住の目的地とに関連して、様々な割合で温帯および熱帯の気候の特性が混入してくる。そのために南方気候の心理的作用の統一的な形態は、まったく特定することが出来ない。われわれはこうした場合、特に感覚的および触動的効果の不一致に遭遇する。例えば日光は非常な希望を与え、かつ、始め生気をすこぶる人に与えるけれども、しばらくの後には、気候変化の欠乏の原因として感じられるにいたる。北方の天候の暗い湿潤な寒気は、南方のシロッコ吹く日の連続よりも耐えやすいように思われる。古い困難が消え失せた後には、新しい困難が生起するのが見られる。春のような気候も、理想的な風景も、  [p178]  ただちに軽い疲労沈滞、作業の不快、不安、興奮などを伴うにいたる。地中海沿岸における精神病者を見た人は、このような分裂作用を熟知している。また、個人的な差も、熱帯におけるよりも重要な役割をはたしている。反対の性質は調和することなく、全く異なる反応を行う。このようにして純粋な気候作用は、間接的な風景的影響の多数によって、ほとんど区別することが出来なくなる。要約すると、南方機構に移転することによって起こる作用はマチマチであって、純粋な気候作用として一定の形式に当てはまるものはない。


     三   内陸気候と海浜気候

  温帯内部において、真の大陸気候から海浜気候へ、あるいはその反対の方向に住所を移転する場合には、はなはだ活発な心理的反応が生じる。一般的に言えば、海浜の気候に向かうときは弛緩現象を生じ、内陸に向かうときには興奮[緊張?]現象が生じるのを特徴としている。

   <  われわれがこれらの移行を、温帯の内部にのみ制限する理由は、こうした制限をしなければ、海浜と大陸の気候の特性を障害なく結果に表すことが出来ないからである。真の海浜気候はイギリスのそれであって、真の大陸気候はロシア内陸におけるようなものである。なお、わずかで弱い対照を求めるとすると、北西ドイツと南東ドイツ(ハンブルグとブレスラウ)との気候を挙げることが出来る。真の海浜気候の特色は、気候が著しく均整であるということ、  [p179]  風が多いこと、多量にして継続する降雨、日光の貧弱、特に冬の雲天と霧多き気候がそうである。また、真の大陸気候の特色は、最寒および最暑の季節の気温の差が著しく大きいということ、まれに、にわかに猛烈となる降雨、そして特に冬において日光が豊富なことなどである。海浜の気候形態において、温暖な冬は各地相一致する。しかしその他は必ずしもそうではない。一月の気温の平均は、リバプール[北緯53]:4.8°、ローマ[北緯12]:6.7°、サンフランシスコ[西海岸北緯37]:9.3°で、互いに接近している。しかし、七月の平均はこれらのこれらの場所において著しく異なる。それぞれ、16.9°、24.8°、14.4°である。地中海浜の七月の平均は、大陸気候と同じか、あるいはこれを超えるものである。ニースでは23.9°、キエフは19.2°である。しかしながら雲天および風などは全く異なる特性を示す。すべての海浜の地において共通な温和な冬は、強烈な温度の動揺がなく、昼と夜、また一月中の最高と最低温度の差はきわめてわずかである。大陸気候にあっては、このような動揺が極めて大きく、冬季の平均気温は零度以下に下り、夏季の暑い盛りの平均気温は15〜25°に及ぶ。しかしながら冬は日光に富み爽快である。 >

  気候の特性によって想像すると、冬季においては内陸に向かって移住するにも、また海浜に向かって移住するにも、最も耐え難い困難を覚える。このことは実際経験によって確かめられている。しかしながら冬の作用は、純粋な気候の効果を経験的に  [p179]  確定する方法を用いて見ても、最も適当であることは明らかである。たとえばイギリスの冬の風景はきわめて寂漠としている。しかしイタリアはイギリスに比べて、すこぶる変化に富む風景であるために、この方面から著しい心理的作用の変化を予期することが出来る。しかも大陸地方からイタリアおよびイギリスの温和な冬に移住する人々のこうむる困難は、極めて多様であるけれども、みな同種のものであることは、あらわで著しいな事実である。すなわち風景の作用の違い以上に、心理的弛緩の共通作用が存在するのが見られる。この作用は刺激に富む冬の寒気の影響と考えることが出来る。霧深いイギリスにおいても、日光輝くイタリアと同じく、感情的空虚、沈潜、作業不快、衰弱感情、疲労倦怠、食欲不振、精神的夢興味などを生じる。荒い海浜気候の日光欠乏がその風景の印象と共に、触動的に以上の効果を強めることは理解の出来ることである。また空気の運動によって、直接の海浜住所に特殊な変化を起こすとき、少なくとも始めはそのために生じる興奮によって愉快になり、カタル[加答児病]の治癒する喜びに酔うと共に、再びリューマチの徴候の襲来に苦しめられることもある。

  冬において最も強く現れるこのような作用の欠陥は、  [p181]  全一年を平均して見ると、なお補足することが出来る。大陸の気候に慣れた気質は明らかに、昼と夜の間および各日の間の著しい差異の消失のために、健康に必要な刺激を失うことになる。その心理的弛緩は慢性となり、空気の運動および日光によって動揺する。比較的清涼で晴朗な日は、比較的に善き日となる。

  すべての場合において、弛緩は常に不快に経験されるというものではない。この場合、我々は前に説明した平均的気質と対照的気質との違いを想起すべきである。大陸に住む人々の中には、比較的平均した気候を心理的に最も心地良いと感じる人々もいる。このような人にとって海浜の気候は、彼・彼女にとって必要な特性を現わす。彼の精神にとっては、弛緩は安静として現れる。彼にとっては前に、暑熱から寒冷に至る温度の動揺の際に、確かに起こった興奮がここでは全く感じられない。彼の健康の平均は、調和的気候によって保たれているのである。それは必然ではないとしても、通常こうしたことは彼の神経的体質に関係している。大陸的気候に耐えるという事は、健康であるというよりも、普通の人々にとっては、経験によってもたらされた彼の民族、彼の先祖および彼の小児時代といったものが、気候に適応した結果なのである。  [p182]  そうでないという人々は、日常の生活においても心的平均を保つためには、何か人工的な安静方法を必要とするというような人々である。

  海浜の気候に慣れた人が、内陸に向かってその居所を変えるときに経験する作用のカタチは、すべての点で上に述べた結果と相反している。冬の寒さは全く特別な興奮を起こすものであるが、夏の日々の気候の動揺、および昼夜の動揺も少しではあるが、それでもやはり慣れることのない興奮を惹き起こす。こうした興奮は心的弛緩よりも一般に、最初は愉快に響く。食欲は増進し、労働の強迫、事業の愉快、力に満ちた鼓舞的感情などを起こし、そうして精神的作業能力を増進させる。しばらくの後、あるいはときどき初めから、これらの状態は扇動的だとして不快に感じられるにいたる。こうして目的なき不安といらだち、一般の易感性[免疫力低下と神経過敏]を生じる。また憤激、夢の多い睡眠、激しい飢餓感などが生じ、ついには不安な弛緩、事業に対する熱心の消失などに至る。こうした慢性状態は、気候の特性を最もよく反映するような天候関係の場合に、最も鋭敏に経験され、その反対の場合は緩和される。

   < 気候の作用と風景の作用とが共に働いて反対の結果を起こすほかに、  [p183]  大陸気候の晴れた冬空は、冬の寒空に耐えられない人々に対してその魔力を振るう。また、さまざまな他のものが入り混じった感覚的作用の他に、非常に降下した温度の場合の、皮膚が切られるような冷たく寒い感じは、触動的にこのような温度をきわめて快く感じる人々に対しても、これに慣れるという事をはなはだ困難にする。また、間接の諸要因が、純粋な気候効果の認識に対して多くの困難を与える。特に人工的大気の影響の場合がそうである。例えばイギリスの住家は、平均温度が低いために、大陸の人々に非常な不快を与える。これに反して海浜の人々は、大陸の冬の非常に暖められた部屋に、容易に慣れることが出来ないでいる。 >

  だいたいにおいて、大陸の住民が経験する海浜気候の心理的弛緩作用は、海浜の住民が経験する大陸気候の興奮作用[?緊張はしても興奮などしない]よりも、型にはまった普遍的で共通のものである。海浜が風景の著しい麻痺的要素[?そんなものない。うらぶれた寂しい感じではない、それは海辺だけの風景である]によって過大視されるけれども、それでもなお大陸は、当初の様々な凍りつく寒さなどによって、著しく過大視されるものである。


    四  山岳気候と低地気候

  山岳と低地の気候の間には、大陸と海浜との気候の間の対立によく似た心理的作用を生み出す。すなわち、山岳気候は刺激[緊張]的に、低地は弛緩的に作用する。けれども「大陸と海浜」の場合と異なるのは、興奮[緊張]的な山岳気候の特徴がこの場合に、明瞭に現れるということである。山岳気候は一定の範囲内において、低地気候よりもはるかに   [p184]   明瞭な気候学的概念であって、地理的緯度による気候の特性、および海浜地方と内陸との間の気候の気候の対照によって攪乱されることが少ない、ということから明瞭に現れるというのは当然である。おおむね、山岳気候はきわめて独立的であって、低地気候は依存的である。実際、山岳気候の特性は、頂、峯、峠、深谷、高谷、高原などを問題とするときには、変化が多く、ほとんど反対の性質を帯びてくる。しかしながらこれらは、低地気候との比較においては、共通する共同の対立となっている。

  山岳の気候に移る際の心理的興奮[緊張]作用は、始めは睡眠のように、あるいは興奮がまったく停止されることによって現れる。この場合、疲労の感情は減少することも高まることもある。こうして睡眠が困難になり、意識はなお活発に働きはじめ、感覚の激しい興奮によって幻覚を現わす。こうした状態は、同時に起こる非常な疲労感情によって大いに苦しめられる。あるいは疲労というのを全く感じることがなく、昼間に感じた日常の事業の愉快が高められて、夜にそれが強く現れることがある。睡眠もはなはだ浅くなり、妨げられやすく、また夢が多い。憤怒、憂悶、心配などを含む興奮性の夢、またその夢に関係する声高い寝言、驚き目が覚める、夢遊状態のまま歩き出すなどといったことが、普段このようなことがないという人々、   [p185]   または異常な興奮のときにのみ起こすといった人々に、よく見られるところである。こうした興奮は、昼間において、あるいは愉快にあるいは不快に感じられる。快感のときは、なりわい[生業]の愉快、快活、確信などの心理状態が、また生理的には緊張するような赤く潮紅するヒフ、若者のような容貌、輝く目、広い瞳孔、強く早い脈拍などが、その心理状態を表明している。不快のときには、著しい山岳気候の特徴としての、固有な興奮する不安が見られる。また、前途の心配、恐怖の衝動、苦しい不安、そして一般的な免疫不全、感覚の過敏過ぎる反応、憤激なども惹き起こす。また、心理状態といったものが、愉快と不快な興奮とが入り混じり、混在することが多い。こうして愉快な楽しみといったものは、ときどきその動機を失い、あるときは些細などうでもよい原因から憤怒、憂悶し、そして自己の能力に対する不安な疑惑に変わる。特に、何か理由なき不安が根底に存在する場合には、愉快から心配な不安に突然変わるといったことが、きわめて多い。

   < 私はかつて天候作用の分析の際に、気圧の説明において、非常な高度に上昇した場合の効果の典型的現象は、山岳[高山]病、すなわちそれは心理的弛緩の徴候の複合であると説明したので、ここでの説明と矛盾するように思うかも知れない。しかしそれは、あくまでも気圧減少による純粋な作用を説明しようと欲したからである。この場合、これら空気の研究によって得た純粋の作用は、常に興奮要素の侵入によって混濁されるのが見られる。   [p186]   山岳病は、一般にある高さに到達したときに初めておこるものであって、それ以下の高さでは、むしろ興奮作用の方が著しいのが見られる。気圧の研究においては、もちろん人が住む程度の高さが最も我々の注意を惹く。しかし、このような高さは、興奮するような影響の範囲外にあるというのが少ない[??]のである。ただアンデス地方およびチベットにおいて、人の恒久的住居が山岳病帯上に突出するのが見られるだけである。このような高さに至るまで、山岳に向かって移動[気候変換]をするときは、もちろん山岳[高山]病を起こす。遠征、漫遊などの際に同じような高地に向かって移動するときにも、またこれと同じ結果を招く。しかしこの場合には、空気の希薄というよりも他の要素の複合作用によって、多数の興奮的な徴候が入り混じってくる[連携・連動・符号化といった定着・一体化の始まり?]。このようにして高山病は、永い滞在の場合にのみ起こるというのが常である。われわれは、山岳[高山]気候の二要素としての空気の希薄と寒冷とは、その強さがある程度に達する場合には、必ず心的弛緩状態を生み出す傾向があると言える。しかし、高山に向かっての移動[気候変換]が極端な場合には、他の要素の作用が著しく大きいために、平均してみると、高山気候の作用が興奮的となることが多い。 >

    典型的な高山[山岳]気候の興奮は、高原地方の最も高い頂きにその舞台を有している。しかしそこは実際の生活にあまり重要なところではない。同じ高さの深谷においても、その作用は消失せずして緩和される。この場合には、気候の興奮的作用の上に、風景の効果によって沈鬱的徴候を加える。特に狭く刻まれ、厚く暗く樹木が繁茂する深谷においては、  [p187]  遂に興奮を圧して継続する、心理的作用の主要な系列となるような、沈鬱の侵入要素をしばしば観察することがある。[系列:つながり合う、何かしらの順序と配列によって統制される、まとめられたカタチ]  これに反して、自由な開放された眺望などを有する風景要素は、その心理的効果をして、高地の気候的興奮をなお増加させること疑いない。気候はすべての興奮の基幹を作るので、風景的にまったく異なる場所の間にも、その作用の一致を生み出し得る。すなわち、軽く波立てる草深き、または沼沢ある高原と、高谷、山地、絶頂などとの対立のように。例えば、北ドイツの低地、またはライン河の平原から、ミュンヒェンの高原に到着した人の起こす興奮は、一般に山中に進入した場合とまったく同じである。こうした作用は、どうしても平面的な風景の特性に帰すことのできないものである。

    これに反して、低地に向かって気候変換[移動]をするときの作用には、風景の効果がはなはだ多く混じってくる。こうした作用のもっとも著しい出現の形式は、平地に移住したアルプス山人の懐郷病である。これは、すこぶる有名な事実である。それは軽視できないものであって、その心的現象の猛烈は著しく、かつ、継続的である。こうして徴兵事務の場合に、オーストリア人のようなアルプス山地の住民は、この点を顧慮する必要があるという。  [p188] そうした影響の一小部分は、気候にあって、生活範囲の変化――特に単純な人々は非常に感じるものである――は、やや強く作用し、風景的印象は最も強く作用する。

  巡遊者および夏季保養客などが経験するように、高山[山岳]中に数日または数週間滞在した後に、平地に帰郷したときの著しい諸作用は、他の要素によって混じり、にごらされる。 この場合、自己の職務および日常の生活に復帰するという効果が、気候の効果をほとんど認められないようにしてしまう。山岳気候が不快な興奮を生み出し、その風景効果が愉快な時の感覚は、比較的適当に形成される。こうした場合に低地に帰ることは、その風景が無味乾燥であるにもかかわらず、真の慰めと安らぎとが感じられる。しかしこうした状態は心理的弛緩の軽く愉快なカタチである。また自然界にあるよりも古い市街などの漫遊に興味を感じるために、喜んで山岳を捨てた巡遊客、あるいはスイスからラインの平野に、ハルツから下ザクセンに下り来る人々にとっては、不安、名状しがたい圧迫、一種の苦痛、茫然、怠惰[たいだ]、疲労、催眠などの諸現象が常に起こる。しかしまた、低地と低地との間にも、気候的に非常な差異があるのも事実である。例えば、上部ラインの深谷とウァイクゼル河の平原とは、何ら類似のところがない。全体として、低地へと向かう気候変換は、  [p189]  山岳に向かう変換に比べて、その観察材料がはなはだ少なく、また、偏っている。これは、低地の町村の場合、家事上の内地移転のような、また、海浜などにおいては、夏季保養旅行などの特殊な事情によって来往するのが常だからである。こうして、低地に向かう気候変換の心理[心意]的弛緩作用は、ただ、山岳へ向かう変換作用の反対として記録されるべきものである。


       第三節   気候の要素


  天候のカタチから導きだされる心理作用の要素分析は、純粋に経験的に研究された積極的結果の一系列を生み出す。これは、天候の組織形態の急激な変化が、その作用の様々な要素の特殊な部分の結合された結果を示すためと、また少なくとも一部分は、これらの作用が、洗濯所、機関室などの、人工の現象に観察されるからである。[しかし]これらの二方法は、気候要素の[分析の]場合には、ほとんど効力がない[?]。われわれはすでに気候の変動の心理的作用を知るために、これに関する粗雑な経験を確かめることが、はなはだ不適当なのを見た。しかも一定の気候変換の観察は、はなはだ多くの作用を現わす。しかし、この際に経験される心理的効果を、  [p190]  各要素に帰せようとする研究は、すでに天候の際に見たような危険、すなわち、明瞭なものを実際のものとして受け取る危険から逃れることが出来ない。人工的に発生させた、気候要素を分離した観察はまったく不可能であって、したがってその結果をもって、以上の危険を訂正することはできないのである。また、人工的な気候要素の存在の断片を現わす場所であっても、気候要素と天候要素との論理的区別、すなわち、永続的な作用について直に困難を感じるのである。こうした観察および説明は、おおむね極端なものであって、気候変動の節で説明したように、多くの他の要素が混在することが多いのである。

  先に身近な例をとろう。自然の気候要素の作用の評価をなす尺度として、われわれの仮定ほど誘惑的なものはない。われわれは家庭において、永続的な、われわれの意志によって変化させ得る温度を持っている。しかしながら室内の空気の組成を同じように支配できるかどうかは疑問である。気圧、湿気、帯電、透光などの諸要素は、戸外の自然の要素によって調整され、その変動はわれわれが支配できないものである。しかし、われわれがこうした事情を前提として進むときには、定められた家屋内における滞在が、希望する要素の観察ができることを述べなければならない。  [p191]  このような滞在は、病人および困難な種類の座業者、囚人などに見られるが、しかしまた、いまだ十分にその効果を現わすには至らないものである。火夫のような過熱された人工的な空気の中で活動するすべての人々は、休息の時間に自然の温和な空気に戻るので、その毎日が著しい気候の変化を完成させる。しかし、数時間の人工的気候要素の影響は、著しい作用を現すものではない。もしもこれら数時間の影響といったものが、毎日繰り返されるときに、その効果を永続的な自然の温熱、例えば熱帯のそれと同一視するのは許されるものではない。火夫は、少なくとも毎日三分の一時間だけは、自然の気温中に避けることが出来るが、強いて比較すると、カルカッタの住民が毎日三分の一だけダージリングに避暑に昇り得る場合と似たものである。しかしこの火夫が、熱帯に赴いていかなる心理的状態になるか、また、彼が熱帯の不快な気候中にあって、感覚の印象の外に触動的影響をどのように感じるかなどの問題については、全く知るところがない。

  気候の場合においても、温度は常に便宜な一要素である。  [p192]  その挙動は我々に感じられるし、また正確に測定することもできる。いかなる強度と範囲において温度が一定であるか、また周期的となるかを確かめるのは、少しの困難も感じられない。他の要素については、おおむね、そうした関係ははなはだ頻雑となる。例えば風は、われわれにとって断続的に触れ、かつ、人が風と反対に動くときと、それに沿って動くときとは、全く異なる強度で働く。電気については、人は全く感覚的な知覚を持たない。また、空気の組成についてもほぼ同じである。湿度についてもまた、その絶対温度と比較湿度との混合によって、その効果がきわめて複雑になる。また、平均気圧は、一定の条件下で湿度と透光に密接に関係していて、心理作用の独立要素として分離して考えるのは、ほとんど不可能である。[「相対湿度」は、飽和水蒸気の比率であり、「絶対湿度」は水蒸気の飽和度に関係なく、空気中に含まれる水蒸気の比率をいう。従って絶対湿度の度数は気温に影響されない。]

  これが分離不可能なことは、気候要素の場合でも、そのまま言えることである。天候の作用は、要素分析の方面からきわめてよく研究されてきた。特に個々の天候現象、すなわち南風[フェーン]、雷雨、寒風、蒸暑、降雪などは、豊富な経験が我々に提供されている。けれども気候作用については、特異なものはただちに見過ごされ、平凡で平均的な作用が類型として認められる。  [p193]  この場合、一二の要素だけが極端に優勢な場合と比較して、すべての要素がほとんど平等に分配される。そのため、観察された効果がどの要素に帰すのかという事に大いに困難を感じるのである。ただこれとは少し種類が異なるのは、周期性の場合である。周期性が著しい天候の特性は、気候の要因となる。そしてこれによって始めて、単一な気候要素の効果を分離できるようになる。しかしこの「周期」の問題は、全く特殊な見地に属するもので、特別の取り扱いが必要である。

  気候の諸形態から起こる諸作用の全体を、三個の特に認められた対に限るべきものとすると、要素作用の分離を試みようとする研究は、すこぶる貧弱となる。こうして、その本来の結果として、次の事を確定し得る。

  「極地の気候作用は、極地の夜間の日光欠乏に基づくものである」、これはもっとも正確な事実である。なぜなら、暗黒の触動的効果は、実験的によく研究されて来たからである。こうした寒冷は、大陸の冬の気候にも強く現れ、これと多量の日光の作用とが結びつく場合、高山の冬季気候におけるように、到底確実に分離し得ないのである。それゆえに寒気のみの影響が、極地の気候作用として主に現れる、というのは認められないのである。しかしまた、その他の障害要素は、ほとんど問題とすべきものがない。

  熱帯気候において、主な心理的効果を定める要素は、永続的な高熱か、またはこの高熱と結びついた多量の湿気によるものであるかは、なお疑問である。実際、毎年高温度が継続するときは、熱帯気候の作用の主要な系列を呼び起こす。しかしまた、これにはなはだしい湿気が混じるときには、その作用はなお激しくなる。これ恰も風船において、気圧減少より起こる心理的弛緩作用が、寒冷の同じ方向の作用によって強められるようなものである。このように湿気は、熱帯気候の作用を極端にする作用を持つ。人工的に加熱された大気中に活動する人々が、しばらくの間その心理的状態の変化――これは熱帯気候がもたらすものと似ている――に耐え得るという観察から、乾燥した暑熱だけでも、毎日、数時間良好な条件に変化し得るとすれば(このようなことは不可能であるが)、熱帯気候に特有な心理作用を生じ、または雷雨の空気、南風、蒸暑きシロッコ的な風、および気候などの作用に類似させることが出来る。もしも大陸気候によく似た特性を帯びる、数週の長さにまたがる暑熱が、その固有の作用を現さないことがあるとすれば、その理由は、二重の均整作用のよって説明される。その第一は、昼間の熱が涼しい夜によって遮断されること。第二は、寒冷な冬の効果である。また、我々は一定の職業において現れる人為的な気候の効果が、これらの気候中にある他の要素、例えば空気の汚濁、空気動揺の欠乏、ある熱源からの直接の輻射などによって、強められるという事を見過ごしてはならない。湿気を含む暑熱と、継続的な暑熱とは、それぞれ心理的・精神的に有害な影響を及ぼす。そしてこの両者が結びついて作用すると、熱帯気候において見るように、その影響は倍加する。

  山岳[高山]気候が興奮作用を及ぼす範囲内にある場合、その原因を一個の主要因に求めようとするのは、すでに述べたように無効である。空気の希薄、寒冷、風、透光などの変化は、この場合、多くは均一な作用を及ぼす。にもかかわらず、気圧低下の主要な効果は、心理的な弛緩であって、高山病を発する場合に、その徴候中にきわめて強く現れるが、その他の場合には全く潜在していて表面には現れない。

  低地の気候においては、全体の作用がすこぶる錯雑するために、これを要素成分から分析しようとする計画は、一般には到達しがたいものとなっている。  [p196]

大陸気候の作用の根底にあるのは、夏と冬との間、昼と夜との間、およびその他の天候変化の場合に起こる、温度の高低の対照に存在する。この対照は、肉体[有機体]を刺激する一種のムチのような作用をする。そしてこの大陸気候とし正反対なのが、海浜気候の固有の作用であって、気温が平均している事と、それが常に適度であるということが、その特徴となっている。また、大陸気候においては、大陸の冬の日光が豊富であるという事が、人間にとって確実な保護作用の営みとなっている。山岳[内陸・高原]の冬、および寒帯の夏における豊富な日光も、また、同じような作用をなしている。


    <  天候要素と気候要素とが交渉するところは、大陸要素の拡張が気候の要素となり得るからである。例えば、継続的高温度、継続的な透光の微弱、変わりやすい温度などがそうである。また、大気界および大地界の要素にして天候形成に関係するも、常に不変なものは「気候的天候要素」と名付けることが出来る。例えば、同じ緯度において一定な地球の重力、大地の組成および地面の高度に関して概ね一致する「気圧」などがそうである。そしてこれらの気候要素が生み出す心理的作用は、場所の差だけによって計り得ることが多い。気候の大地的要素が、天候の場合に比べてなおざりにされているのは、むしろ驚くべきことである。大地の諸要素は、気候の形成には重要であるけれども、心理的生活に影響することは少ない。これは大地の気候的作用、言い換えると、継続的・周期的性質を示すような、心理的健康状態に対する障害は、たいてい人為的な防御方法によって遮られるのが常だからである。 >




        第二章   心理的気候適応



  気候の変換によって起こされる心理[情緒]的平衡の障害は、その新しい気候の中でしばらく継続して滞在したのち、少なくともその一部分だけ再び平衡するにいたる。もしも主観的健康状態と客観的心理的特性(感情興奮性、精神的作業能力など)とが再び以前の形式と、方法とに復帰したように見えるときは、以上の作用は完成されたのである。しかしまた、主観的には健康が回復したように見えても、心理[情緒]的生活の客観的方面がなお残り続けるのを経験することがある。主観的には健康に何ら差しさわりがないように見えても、感情興奮性の上昇、および精神的作業能力の一定の減退が恒常的となっている場合がそうである。こうして我々から見ると、これらの恒常性といったものがどこまで回復したときに、気候適応に成功したと認めることが出来るのかが極めて困難なのである。なぜなら、気候適応という考え方は、様々な意味で使用されていて、ある場合には、十分な心理的健全、十分な健康と作業能力、および不慣れな気候に十分移住し得ることに用いられ、またある場合には、ただ単に感じ得る健康の混乱が平均した状態を指した意味に用いられているからである。  [p198]  では、「心理的健康状態」とは、いかなる範囲に名づける考え方なのか。これは例えば、古い気候中に現れていた心理的健康の程度を、新しい気候中に再び現わすこと、あるいは偶然に、前よりも優れた状態となるという事であれば、比較的簡単に理解もされる。しかしこの場合、客観的心理の特性といったものが、以前の状態に戻っているとは、必ずしもそうとは言えないのである。なぜならこの場合、それ以前に我々は、その前提として生理的な気候適応を求めなければならないからである。すなわち、皮膚の色が変わったのち元の色に戻り、また脈拍、血球の数、物質代謝の強度、栄養の要求なども以前と同じ状態に戻らなければならないのである。しかしまた、このようなことは全く無理なことなのである。気候適応とは、新しい気候に適合するということであって、その中には有機体の機能に残留する多くの変化を含んでいる。神経系統は肉体に属するものとして、心理的精神的生活を担当しているために、ここから我々は次のように確信をもって言える。「気候適応の際には、しばしば心意的生活現象の残留的変化を生み出す」と。精神的作業速度の変化、休息の必要、情緒の活発などはその例である。このような事情を眼中において、「新しい気候中にあって、少なくとも前の気候中で慣れていたような程度の心理的・精神的健康状態を保持し、かつ、客観的心理特性の変化は、  [p199]  心理的・精神的健康の境界を越えない程度に留まるような状態に到達すること」を、心意的気候適応と呼ぶべきである。継続的な心理的健康状態が生み出されない場合、または、心理的異常性および心的特性の病的変化を起こすような場合は、心理的・精神的気候適応は起こらないのである。



    第一節  気候に慣れること


気候適応のもっとも単純な種類は、慣れや安堵として表現し得るものである。この場合、最初の主観的な健康状態の障害は平均化され、また、心理・精神的特性の客観的改造は、その成し遂げられる限りにおいて、常に著しい現象を起こすことがない。「慣れる」というコトバで示されるように、この場合に起こる気候適応の過程は、主に主観的に成し遂げられるものである。こうした「馴れる」という能力は、個人や種族、年齢、およびそれまで慣れ親しんできた気候の種類によってきわめて様々である。

  個人的な差異というのは、特別の観察を必要としない。それはすべての天候および気候の作用について言えることである。両性のうち一般に女子は、男子より心的気候適応に困難を感じることが少ないようである。  [p200]  これは女子が天候に対してすこぶる鈍感なことが原因なのかも知れない。しかし、これと女子が熱帯気候および高山において示す生理的抵抗能力の弱さとは、もちろん混同すべきではない。年齢については、正確な経験がいまだ得られていない。少年が最も気候によく適応するという事も絶対的とは思われない。特に嬰児期を過ぎた小児は、老人に比べて慣れない生活環境に適応するのが容易である。しかし、気候適応の初めに使用される意志エネルギーが非常の多く要求されるときは著しく混乱するに至る。ここにおいて我々はナンセンがしばしば語っていたことを思いだすことになる。彼の経験によれば、北極探検は三十ないし四十歳の人々だけで企てるべきものであって、それより若い人は不可であるという。これらの年齢が全体の中で最適なのかどうか、または他の年齢は心的見地から雑多な気候適応をするためなのかどうかは、未だ研究されていない所である。種族について言えば、ドイツ人(白肌、金髪、碧眼な種族)は、最も鋭敏である。彼らは高温度において、その反対の黒肌人種が低温度に苦しむよりも、特になお著しく困難を感じる。これは習慣の違いのために、  [p201]  消費するエネルギーが両者の間で著しく違ってくるために起こる現象である。一万七千人以上の黒人は、少しの不満なく十分に、亜寒帯の気候を持つカナダに適応している。これに反して、真の心的気候適応、心理的・精神的健康および精神的作業能力に少しの障害も残さずして、熱帯地方に継続して滞在する能力は、おそらく金髪人種には一般に存在しない。しかし、アーリアン人種中の暗色の部分、すなわちローマ人のような種族は、その能力をなお適当に発揮しているようである。

  諸種の気候中、大陸的気候は、普通に健康な人々にとっては、気候適応にほとんど困難を感じないものである。この大陸的気候は、実にしばしば一種の超気候適応を生じ得るものである。これは他の気候よりも大陸的気候が、その快く精神的作業力を増加させるというように感じる、ということである。この場合に気候適応が長く遅延したり、あるいはまったく起こらないというのは、まったく稀なことである。しかしながら、激しい気候の降下は、概して風邪などにかかることがあるが、それはただ間接に不快を感じるというだけである。しかし海浜の気候においては、事実はこのような都合の良いことにはならない。この場合は、弛緩感情を全く除去するのに、きわめて長い期間、時には数年が必要とされる。  [p202]  こうして各人の粗雑な自己感情を信用すれば、多くの場合に、精神的作業能力は、継続的に沈滞して行く。そうして作業は、大陸的気候中におけるよりも、はなはだ強い意志の緊張を必要とし、かつ、自然な興奮やその遂行の快感は著しく現象する。こうした現象は、主観的な制止感情となってまず現れ、ついには恐らく気候適応における客観的変化として混入して来るに至る。心的平均は、幾分不安定に継続することが多い。言い換えると、健康障害の前に非常な精神的作業の要求が生じることがある。しかし一般に精神は、活動を欲するよりむしろ、愉快な安静と享楽を望む。海上旅行の場合には、他の多くの作用を受けることが多いために内陸の人が気候適応の過程において起こす変化は特に強いものである。しかしこの場合、気候適応がまったく拒否されるとすれば、それはただ病理的関係によってのみ起こり得ることである。

  山岳[高山]気候に対しては、多くの人々が完全には気候適応が出来ないようである。この事実は、山岳病を起こす高度においては理解ができるものである。この場合には病気の徴候が非常に急激にひき起こされるために、一般に気候適応の研究を行いづらいところである。この場合には急いで山麓に戻る他はない。  [p203]  山岳病が生命を威嚇するような特性を表さない場合には、慢性的な、次第に治癒される山岳病の形式をとって、徐々に慣らされる。しかしやがてついには完成される精神的平均も、気候適応の概念に反してしばしば不安定に陥ることがある。そうして山岳病的徴候の新しい突発を防ぐために、不断の注意をもって全生活を導かざるを得なくなるに至る。特に最初の活動に対する有力な興奮する刺激の後に起こる軽い疲労は、非常に減少した活動能力を持つ意識を惹起する。ここから健康に対する真の慢性的な障害が生まれる。山の高度が低い時は、これらの要因もまた自然に弱く作用する。しかし精神運動的興奮は、かえって増加し気候適応を永続的に困難にする。特に、家にあっても著しい精神運動的傾向、病的と名付けられない程度の「活発」、「元気旺盛」などの性質を持つ人は、わずかな高所に昇っても、その傾向を発現する必要に迫られ、運動の強迫、作業の愉快、不安などを増すのが感じられ、遂には健康および作業能力の増進がまったく過ぎ去った後、しばしば両者とも急に障害に会う。主観的には、先に心配あるいは絶望の色を帯びた不安、しきりに起こる悶えや苦しみ、散漫、いらだち、せっかちとなる。  [p204]  また、感情状態は短気、かんしゃく持ち、爆発的、不安定になる。特に我々がすでに説明したように、高原のうえにおいては、激しい風のえいきょうによって、山岳気候の特性を強めるのが常なのであるが、さらに600m以上の高所においては、気候適応を永続的に困難にする。そうやって、新しい生活舞台に満足出来ない人々は、一度山麓[山のスソ、山と平地の間の部分]に帰ったのち、はじめて山上でいかに不快であったかをあらためて意識するのである。他の人々、おそらくこうした人々が多いのであるが、最初の困難の後に、運動の適切な制限とその他の衛生の原則を守ることによって、彼らの運動的精神の気候的興奮を平均化することによって、わずかな日々のうちに、十分な、あるいは特に良好な健康に到達し、客観的心理の活動の上に、何ら障害を残さないようにするのである。

  低地はその性質上、決して気候適応の困難を起こすものではない。むしろその困難の原因は、海浜的な気候特性、または、熱帯的な気候の特性によるものである。このような気候に慣れるには、多数の人々、特に産地の住民にとっては、ほとんど不可能である。  [p205]  その原因は気候ではなくて風景なのである。このようにして、遂に抑えがたい懐郷病を起こすに至るのである。

  亜寒帯の状態は特有のものである。極地の冬は、すなわち極地のよるであって、どんな人々にも障害を起こす。こうして、この地方に生きる人々が、その数か月にわたる冬に、全く気候適応をしているかどうかは、きわめて疑わしい。彼らもまた、主観的および客観的にも、彼らの冬の夜に常に苦しむようである。苦しい憂欝、精神的作業能力の減退などは、みな一般に広がっているものであって、一種の病的衰弱の明らかな色調を現わしている。しかし亜寒帯の夏は、これらの欠乏を全く平均化させるものであって、その差引き勘定は決して負債になることがなく、しばしばプラス値を示す。すべての観察者の一致した経験によると、極地の夏は一般に、地上に存在するもっとも健康的な生活条件を与えるもので、心理的・精神的な健康の点でもまたそうである。こうして我々は、ここに時間的関係を持つ気候適応の典型的な例を得る。それは、気候適応の状態といったものが、その障害の規則的復帰によって中断されるのである。そしてこうした方式は、もっとも多く起こる気候適応の一方法なのである。  [p206]  また、我々は他の気候形式においても不明瞭ではあっても、同じような方式を見い出すことが出来る。例えば、多くの移住者に、常に健康と作業能力の障害を惹き起こすのは、海浜気候にあっては、温和にして湿気の多い冬である。大陸気候においては、毎日はなはだしく動揺する不安定な夏である。また亜寒帯の気候においては、著しい夏の盛りである。これらの場合においては、人々は限られた季節を除けば、十分気候に適応することが出来る。

  これらの見地から、気候適応の時期は明らかに重要な意味を持つことになる。気候に慣れるのに最も困難の少ない時節に、未知の気候に移ろうとする人は、その次の、馴れるに困難な時節に、徐々にすべり込もうとする者である。このような注意をしないときは、それまでの気候から急激な違いを持つ、新たな気候に跳び込んで大きな困難に会うのである。これは一般の規則である。しかし季節の間の対照があまりに大きい場合には、例外を設ける必要がある。例えば、初め亜寒帯の夏を経験した人は、それと対比した、その地の冬の無限の暗黒と乾季とが一層強く感じられる。けれども、そうした感じといったものは、下に述べたように、単に風景的印象の違いのみに関係するものではない。  [p207]  亜寒帯の夏が、その純粋な気候的特性によって示す、心的健康および作業能力の向上、ないし、同地の冬において新参者が決して逃れることのできない沈滞は、著しく主観的に、そして鋭敏に意識され、また客観的にも際立って注意を惹くものである。徐々に適応するために亜寒帯においては、一種の過渡的季節、すなわち春と秋がもっとも適当な季節である。すべての個人的差異を除いて考えると、冬の気候形態に対しては、移住者が最も安全円滑に気候適応の過程を与えられるような季節が発見される。

  心理的健康と客観的情緒的平均とが特に密接な関係を持つ、生理的な要因の中で、睡眠は特殊な意味を持つものとして考えなければならない。睡眠の障害はしばしば極めて苦しい気候適応の困難を形成する。先に説明した気候の中で、亜寒帯と山岳の気候が特に睡眠障害を起こしやすい。しかしこの場合、直接の作用と間接の作用とを注意して分離する必要がある。多くの睡眠障害は、その混乱者を著しく衰弱させる。しかし彼の客観的健康状態は、きわめてわずかに衰え沈むものである。気候適応の際にも、その作用は同一である。  [p208]  高山地方に移住した多数の人々は、その気候変換の最初の効果として、数週間または数か月にわたってほとんど眠れない状態を起こすことがある。亜寒帯の夏においては、明るい夜および一日の変化の欠如のために睡眠が困難になり、またその他のすべての事情から睡眠の深さを減らす。しかし、こうした心理的変調の大部分は、移住者が事前にこうした知識をもっているときは、通常これを避けることが出来る。実に、これらの人々の陥るすべての病的困難は、全く予想していなかったことが多いのは容易に理解できる。こうした特殊な点についての気候適応の結果は、中断されることのない、そしてまた同時に客観的には、常に浅い睡眠を惹き起こすに至る。しかし主観的意識は、このような睡眠の変化にほとんど関係することがない。山岳に移住した者は、そのしばらく後の現象する睡眠が、その他の心理的・情緒的平均とよく調和することを経験する。また、まったく消去されずに継続的気候不適応を示す睡眠障害は、やがてついには少なくとも無害であると感じられるに至る。山岳気候に十分適応した場合にも、睡眠は低地におけるよりも継続的に浅いものとなるか、あるいはその同化がついには起こるものなのかは、未だなお確かでない。[本文中の「山岳」とは内陸の高山や高原を指しているのではなくて、スイス近辺のアルプスを指しているようだ]  [p209]  

  すべてこれらの気候においては、気候適応の速度および完成の度合いを異にし、気候不適応を起こすべき残余の部分をも異にする。しかし大多数の移住者は、一般に完全な気候適応の機会を与えられているものである。しかし、これに反して熱帯気候は、全く別種の取り扱いを必要とする。

  両回帰線内の地方、すなわち、熱帯において人々は営みを続けてきたのみならず、さまざまな時代、さまざまな地域において、さまざまな人種、たとえばインド人、および南米のインカ種族のように、高等な文化を生み出してきたことは明らかであって、熱帯気候に適応することが、人類にとって可能であることは疑いのないところである。しかしまた今日、世界に覇を唱えるゲルマン種族およびローマ種族の大部分は、こうした能力を欠いている。この金髪種族は、熱帯における心理的・情緒的・生理的な気候適応能力を欠いている。熱帯的環境にその生活を注意して適応させ、また、非常な習慣的努力を発揮している場合でも、コーカサス以北の人、すなわち白人が熱帯地方に滞在することは、すこぶる困難であって、ただ近い将来に帰郷の望みがあるか、または、規則的に非熱帯的気候、欧州旅行や高山などに避暑することが可能である場合においてのみ、忍耐して滞在し得るのである。  [p210]  継続的熱帯生活は、最初の不慣れに打ち勝ち、身体的衰弱を逃れた後にもなお、心理的・情緒的健康を次第に沈鬱的状態に導き、あるいは、主観的健康状態が新気候に適応して行くように表面上見える場合にも、著しい病的変化を起こすものである。そしてこの二障害は、きわめてよく結合する。健康の範囲内において、熱帯気候の特性に適応すべき精神の変形は、この場合惹き起こされることがない。

   <  欧州人中、イスパニア人、ポルトガル人などのように、褐色の髪を有する民族は、熱帯気候に比較的よく適応する。日本人も、その人種的起源の関係からして、寒帯よりも熱帯に適応しやすいようである。また、これらの関係は、地球上における人種分布の現状の決定的要因となるものである。  >



      第二節  気候による心意[情緒]的特性の変形



  精神的特性は、情緒的特性のものと知的性質のものとを問わず、みな単純な気候適応過程において、永続的変化を逃れることができない。激しい気候変換の際には、このような現象が多く発生するけれども、それは普通、目には見えないものである。実験心理学および特に病理的研究によれば、通常、人の認識は、きわめて微妙に構成されていても、  [p211]  多くの心理的過程を著しく誤解させ、また不明にし得るものである。感情の反応方法は、感情と表情における心身的結合の変化、精神作業の時間性あるいはまた、その他の個々の特性、たとえば疲労・練習・能力などを呼び起こし、あるいは沈滞などの諸現象は、本人の主観的意識、または環境による客観的認識などにまったく現れないまま発生し得る。従って、もしも精密な方法でこの種の変化をカタチとして我々に示すことが出来れば、その時われわれは、気候変換の諸現象を他の気候要素で説明し得るようになるかと言えば、決してそうではない。なぜなら我々が気候変動の際に述べたように、混濁的共在現象が、このときにも等しくその働きを逞しくするからである。気候に対する適応、なおまたこれに比べて数倍の作用を生ずる外国の慣習、社会組織、経済状態などに対する適応、かつ交際の作法、毎日[祭事]の区分、社交的調子、作業の程度などの上に広がる生活方法の変化は、特に若くしてなお可塑性を持つ精神に対して、著しい変化を及ぼし得るものである。現に英国のように、その内に住む人々をして著しく変形させた土地は他に存在しない。彼らがその気候によく適応した原因は、  [p212]  その全体の生活習慣が非常に制限されていたためである。また、新しい言語に慣れることも、必ず人々の心理・精神的態度に影響する。全く新しい文化の中で成長するときは、その判断および意見に差異があるだけでなく、判断の方法や、ものごとの直感、欲望および克己[コッキ:自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと]の方法などをいちじるしく変えるにいたるものである。もちろん、こうした変化は個人の先天的可塑性の制限内で行われるものである。

  このような変化を経験的に確定することは、実に多くの誤謬の源を含むことになる。このような場合に行われた過程に注意する者は、多くの場合その人自身である。しかし、このような場合にいかに多くの誤謬を為すかという事は、他を引いて証明する必要がない。特に健康の変化は、しばしば客観的心理と精神生活の変化に関係する。例えば作業に対する多少の興奮が、実際の作業の増進を来すように。このような総合関係は、しばしば我々が見るところである。また知的な作業においても最近の研究から、主観的感覚と客観的事実とが非常に異なっていることがある、というのが知られてきた。例えば、疲労感と疲労、興奮と作業結果とは、必ずしも常に一致しない。こうして新しい環境への移住の直後の心理[精神・情緒]状態と、  [p213]  しばらく後の落ち着いた状態とを比べて研究する者は、その本人自身であると他人であるとを問わず、、その取扱いの判断に誤りが多いのである。なぜなら人は、概してその人に思いがけずに会うときと、長く近くにいてそのまま会うときによって、全く別人のように思えてくることが多く 、また、異質な文化の中で遭遇する人は、様々な新事件の反動、特に様々な心的状態、混雑、沈鬱、失望のようなものも、または熱心、希望の喜び、善良な願いなどのために、いわば、仮面をかけられたようになるからである。古い環境から、外国に滞在の後帰って来た時は、その人がまったく他人のように見えることがある。しかしこの場合の外観は、実際のそれと一致しない姿を現すことが多いのである。また人は、その間に年を取り、その精神状態がかなり変化するので、先ず、この内実を忘れないようにすることが必要なのである。要するに、一つの心理的変換の実際の状態を、その道[系列・仕組み]に沿って正しく測定するというのは、限りなく困難だということである。さらにまた、なお困難なことは、その全体あるいは個々の成分を、定まった一つの原因に求めるということである。

  にもかかわらず人は、心理的特性の変形と移行に対する気候の作用を、非常に容易に証明し得るものと考えて、なおまたこれを実行する。  [p214]  「厳粛な北方人」または「快活な南方人」などのコトバは、こうした傾向を示すものである。この場合、人が気候的要素[生理的情緒]と風景的要素[観念的・印象的情緒]とを分離していないことは明かである。この両者が区別されずに混合した「快活」と「憂欝」などの複合現象は、ただちに喜んで精神的構成として述べられている。しかしまた、直接[生理・感覚]と間接[印象・観念]の気候的影響は分離して経験されることはないのである。例えば、栄養補給の困難な事あるいは容易な事は、単に気候の影響と考えられている。またある居住地の文化状態もみな暗々裏に、あるいは公然と説明を用いずして気候的要因に帰せられている。しかしまたこうした場合、風土[生理的]心理的要因と社会[観念的]心理的要因との間の厳密な区別がなおざりにされ、見過ごされていることが多い。またこれと同じように、人種または種族に関する不分明な要素も、折々気候の作用の中に数えられることがある。実際、人種ないし種族の間の根本的差異は気候作用によるものである。[種族については風土というよりも血縁的・文化的・歴史的な違いが大きい]

  特に18世紀には、このような態度をもって精神的な民族の特質、すなわち「民族性」、およびそこから発生したと信じられた、すべての社会組織の仕組みと原理を、形式的にみな気候から誘導したのである。こうした説明は、懐疑論者ヒュームの激しい反対を招いた。  [p215]  彼はこの説の反動として、それぞれの国民性が、自然界の影響によって決定されるという事に強く反対した。今日人々は、この問題の観察を非常に細心に行えば明らかである。これはおそらく、気候以外に、社会的環境と人種の影響が、人々の性格説明の都合の良い要因として過度にもてはやされたからである。しかし、それでもなお、民族性の構成の原因の主要部分は、気候に帰すべきであるという傾向は、単に測設のみならず、熱心な研究者の間にもこれを主張する者が少なくない。ラッツェルは、様々な他の要因について大いに注意しているにもかかわらず、その人種地理学的研究において、気候説を主として採用し、来るべき多大な困難を見過ごしたのである。

  気候は、風景的な影響の部分と、また気候の作用と認められる間接の影響を除外しても、なお、[直接の効果として]人類の身体と精神に影響を及ぼし得るという考えは、確かに一種の仮定に過ぎないものであって、これは科学的省察を必要とする。個々の実際の場合において、これらの関係をいかなる範囲にまで事実上示し得るか、またその実際の状態が確かに現わす変化、および差異などを、いかなる範囲まで他の原因に帰すことが許されないかなどの問題は、それでもなお疑わしいものがある。  [p216]  一人の個性を確かめようとするには、その横断面においても縦断面においても――横断面とは個人が現在の瞬間に所在する環境であって、縦断面とは個人がそこから拠って立つところの「過去からの世界」である――、共にほとんどと解き得ないような錯雑を示すものであって、到底、気候だけで説明できるものではない。民族性の形成を気候によって解明しようとする各種の例は、その関係をただちに否定する数倍の反対例によって打破された。しかしこの場合、民族性の概念を理解することの困難、および個々の場合にこれを確かめ定める困難は、なお全くなおざりにされることが多いのである。移住者のこのような性質は、普通一方に偏って理解されている。これは、彼らがその地方の気候的特性と表面上、あるいはその必要に応じて適応しているように見えるためである。例えば南方人は、元気旺盛にして怒りやすく、行動的で、せっかちな、「熱血的」性質を持つ。しかしこうしたことは、彼らの周囲の暑く熱した自然の影響として十分説明できる。しかしまた、明日になれば彼らは弛緩的となり、懶惰[ランダ:なまけおこたる]、倦怠[ウンザリ、だるい]、茫然などの性質を現わし、その気候の弛緩的作用を十分に理解し得る状態を生み出す。ここにおいて我々は、この二つの相反する主張のどちらもが、  [p217]  真実の一部分を保有するということ、そして南方気候の全体の真相を理解するには、興奮と弛緩の二つの作用を、固有の一つのものとして認めざるを得ない。これら両作用は、雷雨、蒸暑、熱風などの天候形態においても、しばしば共在的に、または交替的にその特徴となっている。容易に興奮し、かつ容易に弛緩[たるみゆるむ]する性質、および熱心と軽浮[うわついて落ち着きがない]などは、気候的な南方人の性質として理解し得るのである。これと同じく、安静と忍耐、淡白と強靭さとは、相混じって北方人に現れるものである。こうして特に同一民族の内部においても、その気候的条件の形式によって、北と南との間に通俗的な区別を設けることが多い。ラッツェルもドイツ人、フランス人、イタリア人、イスパニア人、およびブリトン人のそれぞれの内部において、この対立の驚くべき類似を指摘している。

  しかしわれわれは、この説に反対するすべての思想について一度述べなければならない。イスパニアについては争論はなはだ多い。ブリトン人については、他の三つの大陸種族と並行して考えることは絶対に除く必要がある。なぜなら、スコットランド人はラッツェルが知るように、最も不幸なときにも彼らの能力を発揮し、触民に努め、その努力を世の物語に残せる種族であり、その全体の習慣においてアングロ・サクソン人に対する関係が、  [p218]  下ザクセン人と南ドイツ人、ピエモント人(イタリア北部)とナポリ人(イタリア南部)、北部フランス人と南部フランス人などと同じであると考えるのは全く根拠のない主張である。我々は、むしろその反対を主張することが出来る。確かにドイツ人、フランス人、イタリア人などは、これらの対照に適合する。けれども、これらの三国民において、北方人の特性がただちに同じような種族的要素を現わすというのは、我々の理解のできないところである。例えば、北方ドイツは純ドイツ的にして、また強くドイツ的な色彩を帯びた土地であるということである。北方ドイツ(北ザクセンの住民は、純粋なドイツ語を話す)と同じく、北フランス、北イタリアもそうである。そしてこの規則がはなはだしい例外を有するという事を無視しても、これを一つの法則として確立するには、あまりにも概括的なのである。例えばドイツでは、テューリンゲン人およびライン・フランク人が、アレマン種族シュウァルツァルト人、およびスイス人よりも、南方的特性を多く有しないかどうかは、疑わしいのである。またほとんど同じ気候に住む下ザクセン人とオランダ人とは、北方と南方との類型の区別に似た差異を相互[あいたが]いに持つかどうか。またもし人が、ラスタット[ドイツ南西国境付近]から一直線にライン川を横切り、フランク人の住むアレマン地方(独仏国境のライン川上流地域)に進むとき、  [p219]  上部ラインの深谷の平原中においてもなお、著しい対照を示す民族性の変化を見ることが出来ないだろうか。

  最後に人種の現象が、いかなる範囲まで気候の現象と関係するかは、実際、我々の知らないところである。しかしかつては、人種および種族の根本的成立を気候的影響によって了解しようとするまで進んだけれども、これらの現象は、すべて気候の影響とは全然無関係に発生するものであることは、実際、明白なのである。我々は、種族の特性というのが、非常に差異のある気候であるにも拘らず、同一であって、また、これが為に他によって支配されたり、変化することもなく永く存続するのを見る。こうした特性は、遺伝的組織の一片にして、これ持って個人は、環境の中に進み、また気候の影響下に入る者なのである。[「適応」というのは、個体の中の「遺伝」を基にしてしか現実の物にならないので、また個体にとっての現実とは、これしかないのだから、適応というのが遺伝によって制約されコントロールされる。つまり遺伝を素材もしくは原型として、これを基にして適応という自分にとっての現実の世界を作るのである。] 社会的および歴史的生活の様々な要因は、気候によって全く適当に説明できるし、または気候の作用を加えて説明することもできる。もしもこれらの生活が個人に対して、教育、前例、慣習、法律などを通して作用する場合には、それらの全体としての影響は、気候の影響との様々な対照関係において起こり得るものである。こうして民族の諸特性を気候によって説明しようとする場合には、歴史的要因が自然的要因よりも著しく影響していることが、しばしば見過ごされるのである。人はまた、以下のような議論を聞くことがある。  [p220]  すなわち、北方人種が今日世界を支配し、文化を指導するに至ったのは、不断の勢力と活動とを余儀なくさせる鍛練的な気候による、という議論がそうである。しかし、過去において南方人種は、イスパニアやローマ人のように世界を支配し、また、イタリア人・ギリシャ人・エジプト人が文化を指導したことがあったではないか。最初に文化の頂点を作り出した人種は、亜熱帯地方の人々ではなかっただろうか。こうして、もしも今日、これらの地域の民族がすでに他の文化に導かれる立場にあるとすれば、我々は彼らの気候が、このように不適当に変化したためであると、信じることが出来るだろうか。ここには、明らかに歴史的運命の作用があるのであって、そしてその法則がいまだ我々には知られていないとしても、それは必ず気候的事実をも含めた、他のあらゆる事実にその基礎を有するものなのである。また、その他の例外的行動は、一般に民族性の上に何らの結果をも、もたらすものではない。なぜなら、このような例外的な行動をする人間は、たいてい個人として孤立しているか、または、わずかな人々に過ぎないために、これをもってただちに民族性の向上であると推断することが出来ないからである。例えば、音楽について考えると、その最近の全発達は、ドイツの天才の事業である。しかしながら、ドイツ人よりもきわめて多くの音楽的血脈を持つ他の民族は、何ら貢献するところがないのである。  [p221]  天才の行動の条件および動機については、我々にとっては、なお暗黒裏にあるものであって、それと気候とを結びつけるのは単に「子供の遊び」に過ぎず、こうして、民族性完成の気候的要因を明らかにするために、一般に承認されるべき方法は、すべての極端を排してただ、「心意」的民族生活の平均的発現の範囲の中で研究することにある。

    [ この場合の「心意」とは、心理に限られるものではなくて、精神や情緒といったものも含んでいる。さらには、それらが形成されてきたところの根源的な自意識、あるいは種としての魂といったものを指している。だから心理ではなくて「心意」と言い表しているのである。]

  この場合においても、前に述べたように、すでに働いている影響、および現在働きつつある影響が錯雑なために、計りがたいっ困難に陥る。しかしまた、こうした困難が、科学的な問題提起を放棄させる基礎になるほどまで、大きなものでないというのも事実である。気候が永続的な心理的性質の発達に対して、いかなる範囲にまで関係するかという問題は、いまだ確かめられてはいない。こうしてワケで、一層進んで研究する十分な価値があるのである。民族性のような非常に錯雑した現象から出発して、この問題を説明しようとする、従来好んで使用された方法は、ただ人を迷わすだけである。こうした全体の問題から派生する個々のすべての問題は、その回答がはなはだ困難であって、またこれらの回答の大部分は、実際、歴史的な由来の経緯から、その間に臆説、主観的想像、直観などが、のさばりはびこる状態から逃れられない。しかし、気候と精神の問題をまじめに考えるためには、  [p222]  先に個人の心理的性質[種族的気質]が気候の変化によって、いかに変形されるのかという問題の研究から始めなければならない。すなわちラッツェルが適切に述べたように、この問題はきわめて長く、また、様々な見地から論議され続けた後、「科学研究の器具を用いて分解する」に至ったのである。しかしわれわれは、それがなお信頼できる方法であるかどうかを知らないのである。なぜならラッツェルも認めるように、この方法を適用し解明しようとするときは、「研究の器具によって分解する」よりも、むしろ空に「論議する」方が多いからである。こうして今日、気候によって生ずる心意的性質[人種的気質]の可能な変形についての、全体的な複雑な問題を、先ず気候適応問題の未解決の部分として、ガマンして延期するしか他に良い方法が見つからないのである。

   [ 民族精神・民族的気質、さらに民族の魂といったものは、そこに生きる者にとっては、初めから与えられていた根源的な、当然の、自然な当たり前の前提のように思えるかも知れないが、これは大きな誤解であって、これは「近代」という歴史の時代の中で作り出された人為的な区別であり、考え方である。国民と国家と民族を同一視しようとしたのである。その方が都合がよいし効率で、また誰にとってもわかりやすい考え方であり、また人民をまとめ上げて統率しやすかったからである。シツケてそそのかして仲間化しやすかったのである。人民自身もまたそれを望んだからである。これは仮定であり空想であり、またその時代のだれにとっても都合の良い、思い込みの世界なのである。だからこうした場合、本書「風土心理学」においては、民族あるいは人種とも区別して、これを「種族」として言い表している。この方が確かに正確でもあるし、客観的である。ここでいう「種族」は、このような「思い込み」から区別して用いられている。]


     第三節  気候による心理的変態。

    [ 本文中「心意的」という現代語からすると意味不明なコトバが使用されているが、これはたぶん、心理・精神・情緒あるいは魂とでも訳せるものである。たぶん「心理」が最も適当な訳語になると思えるが、要するに、心理などと言うよりも、もっと深く、さらに広い意味で用いたのだと思われるが、やはり誤解されやすいコトバである。まぎらわしいのでこの心意を、たいてい「心理」と訳している。]

  気候による心理的変態というような、気候適応と反対するような一群の事実を、気候適応の中で話そうとするのは、不思議に思われるかも知れない。  [p223]  しかしこの配列は不当ではない。気候によって心理というのが病理的変形を成すというのは、気候に慣れるということ、および気候による性質の変化と相並んで、気候適応過程において可能な第三の消極的結果というものである。あるいは、その結果と言えないにしても、なお馴れるということ、あるいは性質変化の発達における一つの段階と認めることが出来る。またこれら二つの位置の外になお、気候と心理的変態との間には、もう一つの関係がある。私はこの関係を後の章の、周期問題において考察する。この「周期」を除いて考えると、気候による心理障害を、気候適応の「左」に集め、反対に積極的な気候適応を「右」に置けば、理解しやすい。すなわち、心理的変態は、気候適応の固有の対象として考えられ、または、この二つの形態からの一時的な「脱逸」状態として考えることが出来る。

  我々が気候によって心理的変態を生じるかどうかというのを決める場合に、以上のう様式のように全然簡単に成し得るものではない。心理的適応の困難は、実にそれ自身の心意[情緒]的平均の障害を示すものだからである。我々がそのっ困難をもって病的変化と認めるには、それがいかほどの期間以上続いた場合なのか、   [224]   またいかなる程度以上に進んだとき、それが単なる気候適応の困難ではなくて、たとえその期間は短く、かつ速に回復するといったば場合にも、こ固有の意味における心意[情緒]的障害と認められるものなのか。もしも、我々が全く消失する見込みがないのみならず、永続し、あるいは増進するというような主観的健康の混濁をもって、病理的だと認め断定しても、実際にはその対象の範囲についての判断に、非常な困難を感じるのである。すなわち知的実行能力の低下、および感情的気分[情緒]の異常な不安定などを、日常的状態の範囲から逸脱した心的性質の変形として認めるのか、または病的変形と認めるべきかについて、大いに迷ってしまうのである。論理的、特に普遍的な境界の基準をもって、すべてのケースに当てはめようとする努力は、従来、精神病理学においてすべて失敗している。こうした範囲の決定というのは、単に心身的複合現象のきわめて錯雑した精神病的認識法のすべてを利用した観察、およびそれらの観察の個々を相互いに比較して観察することによって成されたものである。すなわちこれは、一つのいわゆる「臨床的」方法なのである。臨床的見地だけから観察すると、我々の疑問は二つの小さな疑問に分解し得る。すなわち、いかなる範囲において気候は、気候適応の要求の結果として「精神病」を発生させるのか、またいかなる範囲において   [p225]   「情緒的変態」、「神経病」、「神経性精神病」を発生させるのか、といった疑問がこれである。


    一  精神病  世間の人々は、重い精神病の発生についても、常に好んでその時期に存在した原因によって説明しようとするものである。そうして気候もまたそのように解釈される。一般に、気候と風景の作用とが混合してその原因とされる。特に彼らの見解においては、暑熱の気候は危険と思われている。これは「日射病」および「夏バテ」に関する漠然としたイメージが、このような考えの根底を造り出したのである。こうして最近数十年間に熱帯において起こった様々な事件によって、以上の意見はなお、堅固にされた。そして今日、多くの紳士は、もしも人から気候によって生じた精神病について尋ねられたときには、「熱帯瀬狂」として答えるのである。

  こうした精神病について我々が知るところは、乱暴、残忍、性欲と結合した犯罪などの傾向を帯び、また特に、日常の責任感情を失った、あるいは少なくとも非常な障害を持つような興奮の状態である。ドイツ帝国の植民史中のある時期においては、これら「精神病」に関する公然の論議をきわめて重要視したことがある。   [p226]   しかし実際、人々が熱帯瀬狂と名付けた情緒的興奮の現象は、一つの特殊な精神病として認めるべきものとしても、またその固有の原因は、気候に帰すべきものであるということも、まったく証明されてはいない。またこの場合、こうした症状は、おおむね神経衰弱の人々に起こる慢性的興奮の急激な破裂と認められる。そうしてこの興奮の爆発のみは、熱帯気候にその原因の一部分があると考えられたのである。この共同原因の点は特に注意する必要がある。そしてこのように、この疾病要因はハッキリした色彩を有するものである。すなわち、その一つは、気候とただ間接の関係を持ち、もう一つは、気候とは全く無関係である。第一に、気候に反対する生活習慣の固持、特に肉食および飲酒の習慣は、性欲のコントロールを不可能にし、また全体の神経系統の強烈な破裂をもたらす、強迫された興奮状態をひきおこすに至る。第二に、社会的自己制裁の放任、社会的結合の弛緩、およびその性質上短気をしばしば起こしやすい人種に対して、非常に充実した勢力を準備させることなど、乱暴、法律違反、専横などの特色を行為によって現わすようになる。これら二つの要因によって、性欲に関係する残忍、および性欲の対象に対する激昂した残忍さといったものがよく理解できるのである。また、性的使用権、および身体懲罰権の共在は、   [p227]   本人の人格が確固でない者にあっては、残忍を喜び、その性欲の対象を苦しめるような行為を求める、きわめて危険な傾向を一般に起こすに至るものである。このような行為は、最初、なお自制されるが、感情の激昂を要因としてにわかに破裂し得るものである。しかしながら、すべての植民は、その当初においては、全く不安定にして欠点の多い個人が一定の任務を遂行するのを常とする。冒険家の性質において、その弱点は、その強味に比較すると数倍に上るものである。そうしたわけで「熱帯瀬狂」は、それぞれの植民地経営における典型的な随伴現象となっている。この病いはスペイン領アメリカにおいても、英領インドまたはドイツ領アフリカにおいても人を悩ましたのである。このようにして植民地の管理は、その支配民族の選良な者の手に移り行き、冒険家と無能者は、次第に帰国することによって、この病も稀なことになっていったのである。また他面において人は、植民地経営の基準を母国の習慣によって測るのは、明らかに間違いであることを切に注意する必要がある。性的概念もまた、厳粛な規律とは別種のものである。その多くは、狂気乱心の錯誤としてすでに説明した通りである。これは実際において、自己保存の衝動あるいは植民地人の責任意識の場所、および境遇などによって許されるべき活動である。   [p228]   以上のように「熱帯瀬狂」というコトバに弾劾的ないみをも含めて、はなはだ多く説明してきたが、しかしまた、これによって明らかに必要な精神病理学的概念の限界を確定したとは言えないのである。

  今日、我々の知識によれば、気候だけでは何らの精神病をも生起させるものではな。我々はメービウスの定義に基づいて、精神病を外面的と内面的とに区別しようとする。外面的とは、外部原因によって起こるもので、内面的とは、個人の病的素質に基づいて発生するものである。こうして外部では、気候はその共同原因の一部となり、内部においては、その機会を与える原因となるに過ぎない。アルコール好きな人間は、寒い気候においては激しい物質代謝のために、その毒物が速やかに燃焼する結果、一般に暑い気候におけるよりも温和に作用するが、厚い気候においては、アルコールによる精神障害を生ずるに至ると人々は想像するけれども、これの証拠となるべき材料はほとんどないのである。日射病による精神錯乱のような急性の精神病は、気候の作用というよりも、むしろ天候の作用というべきであって、これについてはすでに述べた。これは気候とは何の関係もないものであるが、   [p229]   暑い気候中においては、こうした機会が多いというのは言うまでもない。体質から発生する精神障害(若年症、老年症、乗り物酔い、あるいは躁揚・欝憂症)の際に、外部の影響がいかなる協力的作用を起こすかは、我々がなお明らかに知らないところである。しかしわれわれは、各種の可能性について次のように考えることが出来る。若年症は、本来性的成熟の生理的過程と相関連するものである。そしてまた性的成熟は、ある程度まで気候によって影響される。これは、人が極地方へ近づくに従って、ますますゆっくりと進行する。すなわち性欲発現と性欲凋落とは、熱帯に進むにつれてますます早く、かつ急速に到達される。しかし気候と若年症との関係については、我々は経験的に知るところがない。他の例を取ると、世間の想像と経験の結果とは互いに相反することが多い。白痴は、山岳気候と直接関係があるように、普通に考えられているが、、実際には多くの山岳地方における飲料水の特性によるものである。また、躁鬱病の憂欝状態の治療に、俗人だけでなく医師もまた日当たりの良い気候へ転地を勧めるけれども、これはほとんど効果のないものである。我々は、一つの病的素質を持つ身体に気候適応を要求すると、直ちに一つの精神病の破裂を導く機会原因を与えるという事を言い得る。しかしこの場合、一定の気候要因が作用するというのではなくして、   [p230]   ただ非常に不安定な心意的[情緒的]平均を持つ人々を脅迫する生活の不安が、そうした機会を与えるということなのである。内部的精神病は、実にはなはだ軽く、座って居眠りするかのような状態で潜伏することが多い。従って人は、その疾病を発生させるには、それを覚ますようなわずかな刺激だけでよいのである。こうした刺激は、災難、または身体的疾病の場合と同じく、気候変換の際にも自然に起こり得ることである。しかしこれは、もちろん気候によって生じた情緒の疾病ではないのである。

  精神病という状態について、気候的要因がいかなる範囲にまで参与するかは、我々がなお、ほとんど知らないところである。本質が同じ疾病過程も、地球の様々な地域において、そして様々な姿となって現れるというのは、疑いのないことなのである。ヒステリー性精神病は、南ヨーロッパにおいては非常に著しい燥揚状態と結合することが多いのであるが、北欧においては、主に沈鬱な色彩がその中に混じっている。憂欝症は、多くの民族の場合において、なお知られていないように、これをさらに広く考察すると、これに連なる病症ないし侵害妄想、微小妄想、   [p231]   罪悪妄想などもまたそうである。しかし今日われわれが知る限りでは、これらの違いの意味については、人種および文化の特性が、気候作用よりも先に多く問題になるべきものである。また、われわれの温帯気候に関係した、発症状態の著しい動揺は、ただ周期的問題と関連した意味においてのみ起こる。もしも一定の種族の範囲内において、微かな毒がその恐るべき余病、すなわち脳髄の次第に進行する麻痺を全く起こさないとすれば、精神病の発症が気候とは全く無関係でなのは、たしかである。また、もしも我々と同じ気候中に居住する樺太人のような民族が、特にしばしば精神病にかかるとするならば、それは明らかに気候の作用であるとは言えないのである[?]。要するに、気候的要素を精神病発症の機械原因または共同原因の一つとすること、あるいは共同要素と認めることが出来るのは、かえってこのような作用が一般に知られていないということと一致するのである。実際、われわれは少しも拡張せずに言う。我々の知識となったこのような共同原因または形成要素の材料がますます豊富になるに従って、気候は、我々にとってますます重大なものになる。しかしこの問題に対して一定の判断を下すことについては、なお警戒しなければならない。   [p232]   このことに関する我々の経験、および比較の可能性、ならびに特に精神病発症の際における、機会原因としての意味における心理的気候作用についての経験はあまりに断片的なのである。


   二  神経性精神病、神経病

  これは、「神経衰弱」の名のもとに含まれる変態精神状態の範囲を指すもので、精神病との違いは次の点である。この病気は、多くの場合において未だ一度もその患者を社交不能にならしめたことがなく、あるいは少なくとも社交困難の域に止まるものであって、ただ主観的な苦しみ、および客観的な作業能力の衰弱を来たすだけである。

    < 様々な研究の結果によれば、わずかな気候の違いによって非常に影響を受ける人は、本体、体質が虚弱なためでである。このような人は、他の些細な原因によっても常に健康と作業能力の安定が破壊される。しかしこの場合、強い神経系統をも容易に不安定にする、強い気候の影響ももちろん存在する。>

気候的影響がいかなる範囲まで人々の心理的情緒を過敏にし、また変態的にするかという問題を研究するには、その対象を常に激しい神経衰弱の状態にしておく必要がある。   [p233]   なぜなら、軽い神経衰弱は、一つの原因に主要な責任を負担させることが不可能だからである。こうして気候変換の場合には、多くの人々は全体の生活習慣、特にすべての生活の希望、および生活の運命などを著しく変化させるものであるがために、多くの神経障害は、その多くをこれら気候変換にその原因を求めなければならないからである。また前にも述べた理由から、人は全く強靭な体質によってその健康を維持しなければならない。けだし[理由や根拠などとは関係なく、経験上、そうなる確率が高いということ]、精神病は、本来いかなる生活変化にも常に密接に相伴うものであって、その原因としての、特殊な気候作用を発見するという事は、きわめて困難なのである。[「触動的」、あるいは生理的・本能的作用ということか?]

  このような仮定の下に、三つの気候類型だけが慢性的な心理的情緒の変態化の、可能な原因として認められる。第一、非常な高地の気候は、全く健康な低地人を様々に永続的に変化させるように思われる。この際の気候適応は、ただそれまでの多くの生活習慣を放棄した後しばらく成功する。すなわち、身体の運動を永久に制限を感じるほど、強く節制する必要がある。しかしこのように注意しても、なお不安の傾向や心配の興奮、急激な情緒の制駆[コントロール]などが、直に燃えるような作用の愉快、その他の同じような感情を呼び起こし、   [p234]   また固着させるに至る。我々は山岳病[=高山病]ないし山岳における興奮状態の変化、およびその緩和が慢性的であると言うことが出来る。第二、極地の夜は、多くの移住者にとって、気候に適応することが極めて困難である。そして、冬が来るたびに、最初の冬と同じく、これを耐えることに極めて困難を感じる。神経衰弱を起こす貧血状態ないし特に憂欝な気分などは、常に繰り返し起こる。一般に、健康的な極地の夏が、常に、冬における損害を償い得るかどうかは、なお疑問である。健康な人にとっても亜寒帯の気候は、その冬の夜のために、永続的漸増的に人を衰弱させるように思われる。第三、熱帯気候はこれらの点において実に、抜群の成績を現わすものである。

  熱帯気候の影響は、いまだ全く解決されるには至っていない。しかし熟練した観察者は、熱帯地方に数年間滞在するときは、伝染病の危険を全く逃れるとともに、しかしなお、心的作用能力が依然として低下することを常に力説している。こうした影響のもっとも著しいものとして、三つの神経衰弱的現象群を取り上げることが出来る。第一は、感情の易感性[過剰な病的な敏感性]として、第二は、知的能力(記憶、精神的独立、注意の集中、微妙な興味など)の弛緩である。   [p235]   第三は、性的変態であって、知覚敏感、性的倒錯および性欲的要求の著しい低下などの方向を取って現れる。

  心理的生活のこのような変化の進行は、不要な生活方法、すなわち我々が温帯において普通必要とするアルコールおよび肉類の飲食により、または、あまりに過度の入浴および身体の努力によって、または、高ぶり迫る衝動を特に現わす性欲の浪費によって促進される。しかし、こうした変化は北部ヨーロッパに住む民族以外の人々には恐らく起こらないものであって、また、熱帯地方に一年以上滞在しなければ見ることが出来ないものである。熱帯の滞在者が休暇を得て、一定の期間、温帯地方避暑を為し得る場合には、以上述べたような神経過敏の現象の接近することが、直に神経衰弱生起の徴候として現れることが多い。もちろん、神経衰弱場合には、このような徴候の集群は、常に個人的特性によってその多くが支配されるものである。ある場合には、情緒的易感性が先に立ち、他の場合には、知的疲労の徴候が特に速やかに、かつ激しく現れ、第三の場合には、主として性的困難のために悩まされる。しかしながら確かに全体の心象は、変態の範囲内で働くものであって、   [236]   健康の範囲内での心理的性質の改造として我々が述べることが出来るものは、何もない。なぜなら、このような神経衰弱患者の病勢の変遷によって、早く、かつ一般に多く苦しむ者は、その当人よりも周囲の人であることが多い。こうして他の病症であると考える主観的な感情は、永い間決して消失しないからである。易感性・疲労性障害などは、少なくとも一時は出現する。けれどもそうした現象を全く見過ごして、あるいは苦痛の感覚が実際にないとしても、なお生起する変化の病的特性は、これを明瞭に認めることができるのである。

  苦痛の実際の程度と苦痛の意識との間の、全く平均を失った不均衡は、これら熱帯気候によって起こる神経興奮の際にしばしば現れる。少なくともこの場合、善き観察者が特に注意すべき徴候として報告する、自負・自尊などの諸性癖として現れる。このことは、すでに我々が「熱帯ライ狂」を論じた際に、根本的なその位置を示したので、少しも驚くことではない。これは本来、社会的起源のものであって、感情興奮によって惹き起こされた性格の特性の病的野卑化である。性格が野卑だというのは、植民地における一般的現象であって、   [237]   支配する教育ある人種(または階級)と全く機械として使用される人種階級との対立によって容易に醸成される。こうして熱帯気候が起こす慢性的・情緒的変態は、特に精神病的素質を有する場合、または熱帯に特に不適当な生活慣習をする場合には、鋭く精神病的に「熱帯ライ狂」として現れるものであって、普通、それよりも希薄に拡大された情緒的変化として現れる。

  気候によって起こる情緒的変態は、以上に挙げた形態以外のものは、今日まで知られていない。



   [p238]

第三章  気候的および心理的周期


    「周期性」とは、様々な現象、少なくとも三種が同じように起こり、同様な範囲および同様な方法によって、同様な感覚でもって繰り返すという事実をいう。このような方法によって、われわれが知る大多数の宇宙の出来事が経過する。その内の最も重要なものは、太陽に対する地球の動きであって、太陽の周囲の公転と、地球自身の軸の自転によって成立する。この運動は、厳密な周期で地球を同じ位置に復帰させる。またそれが示す表面的な障害も、よく注意すると周期的序列[システム]中に見出すことが出来るものである。地球上の生命は、地球表面が断続して受ける日光の量に、まず第一に関係するのであるが、ゆえに、地球太陽周期は最も重要な生物現象中に発現するものである。実にこの周期は、生命に影響し得るただ一つの宇宙的周期とは言い得ないのである。そしてまた、地球と太陽との関係以外の星座の周期――惑星の座所、彗星の出現など――および特に月の満ち欠けと生命とがいかに関係するかは、なお未だ解明されてはいない。   [239]

  太陽と地球との関係が最も著しい周期的事実であることは、論ずる必要がない。これと我々の気候概念との間には、すでに密接な関係があることが知られている。少なくとも太陽が地球に及ぼす作用の大部分は、大気の仲介を必要とするために、大気は、地球・太陽周期と生命周期との間の、定められたところの連鎖を形成している。これについて我々は、われわれの気候概念を少し拡大する必要がある。この概念の核となるものは、天候現象の毎年の系列[システム]としての年周気候であるという事は、前と同じである。しかしながらわれわれは、天候現象の一系列[システム]が、地球の自転によって定まる周期の単位、すなわち「一日」にて完結することを計算の中に入れないワケにゆかない。従って、日を単位に巡る「日周気候」の概念は、十分な権利をもって作り出すことが出来るものである。また、年と日との間に入るべきもので、月の運行によって決定される気候単位、すなわち自然の一日としての周期の問題も明白になるのであって、また特に、心理的事実によって明瞭に支持されている。実に、この関係において月週、すなわち満月から次の満月に至るまでの期間も、決して忘れてはならないものである。終わりに、地球・太陽周期中の大周期、一年における一定の表面的障害も整理されるべきものであることを、述べておかなければならない。   [p240]   このような大きな周期にあっては、なお他の太陽上の現象の反復するのがあって、それの地球に対する影響も考えなければならない。こうして一年を超える周期も、気候的なものとして注意する価値がある。

  他面において、情緒的生活においてもまた、周期的序列が認められるのも、ほとんど証明を必要としない。睡眠、性欲の活動および多くの病的現象は、その最も著しい証拠である。しかし、情緒的生活の周期がたとえ一部分であっても、それが最も顕著にその特徴を現わすのは、一般の生活の中においてである。広義の気候周期は、宇宙の現象が先に地上で表出される。こうして生活の周期は、生理的あるいは心理的周期と相伴って進む。ここにおいて、心理的周期もまた気候周期の効果なのだろうか、あるいはまた、いかなる気候周期が最も影響するのか、といった問題が自然に起こってくる。


    第一節  心理生活の「日」周期


「日」の観察から始まる理由は、それが最短周期であって、また最も容易に見わたせて有利であるだけでなく、その周期が気候的に昼夜の入れ替わりによって、覚醒および睡眠において現わすところの心理的な違いが、   [p241]   非常に鋭い対照を示す点で極めて有利だからである。しかし、この「日」の周期性は、以上の違いや対象によって言い尽くされたとは言えない。なお睡眠においては、その深浅の観察において、覚醒の場合には、その心理生活の情的および知的方面の観察において、明らかに周期的な段階の存在が認められる。しかしまた、こうしたことは、きわ  めてデリケートかつ微細な観察によって、ようやく推論し得ることなのである。


    一  覚醒と睡眠   これら二つの生活状態の対立は、最高有機体[人間]について言えば、心意[精神?]的状態におけるように、肉体的にも深刻な区別[対立]を起こすものではない。しかしまた、その活力については極めて深い影響を受け得るものである。心臓と呼吸、消化と物質代謝は、睡眠中にもなお活動していて、ただ、その一部分の活動の量と質を変えるだけである。精神、および生理的作用、特に有意運動の系統は、最も深い変化を現わす。睡眠中にあっては、いかなる範囲で精神がその経験を止めるものなのか、すなわち、それぞれの自然な睡眠においては、絶えず夢を見続けるものなのか、あるいは夢は一時的に止まるものなのか、などの問題を決定することは非常に困難である。   [p242]   しかし睡眠の場合には、積極的意志は失われ、自我意識も著しく曖昧となり、知覚の大部分は現実との接点を失くし、その小部分は弱くなり錯覚を起こし始める。こうして人が夢と名付ける心的経験の残りは、表象と感情興奮の混合から構成されるものとなる。しかし、明白な意思表示の休止を保持する睡眠は変態ではない。しかしまた夢の中で、はなはだ秩序ある表象活動をするときは、変態的条件を現わすことがある。すなわち、寝言と睡遊[夢遊症]は病的睡眠現象である。

  精神のこうした状態は、有機体[身体]の生活時間の三分の一に現れ、これは特に毎日の反復作用に必要である。成人にあっては、健康な睡眠の要求は毎日八時間程度である。しかし一時的には、ある日のわずかな時間の睡眠を、次の日の多くの時間の睡眠によって償うことが出来る。 しかし、規則的な睡眠は永い常態の睡眠を導くのに必要なのであって、また同時に有機的[身体的]、特に心的健康と作業力にとって必要である。この一日の三分の一の睡眠時間は、普通もっとも光線の乏しいとき、すなわち夜に設けられる。これは人類だけでなく他の多くの生物もまたそうである。ただ、薄明かりと夜だけに活動する生物は、この規則の例外である。   [p243]   しかし、文化と自然とはこうした事情を全く変化させ得るものである。文化は、生活習慣を通して人間に影響する。例えば、朝は日の高くなるまで寝過ごして、夜ははなはだ遅くまで起き続けるといった具合である。こうした推移の極端な例は、確かに心理的・情緒的健康を害する。次に自然は、昼と夜との移り変わりの状態の違いによって、人間に影響を及ぼす。例えば亜寒帯において、昼または夜が切り替わることなく、昼あるいは夜のままで数か月にわたって継続する場合がそうである。

  動物と植物にとって暗闇のなかでの睡眠が、光線の欠乏から生じた活力の低下に帰因するのか、あるいはその主要な原因が、暗黒による可視世界が断絶――もちろんこれは見える度物だけに言えることであるが――してしまうことによって、睡眠が容易になるためであるかは、我々が知らないところである。おそらくこの両者が連携してその原因を作り出している。人類において睡眠は、常に暗黒と密接な関係がある。そして睡眠の最も重要な性質としての、その深さは常に暗黒と密接な関係がある。こうして睡眠のもっとも重要な性質としてのその深さは、ただちに大気の明るさの逆関数として現わされる。すなわち夏の睡眠は冬よりも浅く、特に北の極地の夏の浅いということ。また昼の睡眠は、客観的な夜の睡眠深度の四分の一に及ばないということ、   [244]   および昼間においても人為的に部屋を真っ暗にするときは、睡眠深度を増加させる事がそうである。また人は実際の必要から、睡眠の際には周りを暗くするものである。これ単に、たやすく眠るためだけでなく、また「良好な睡眠」、すなわち大きな睡眠深度を得ようとするからである。しかしこれらの作用は、人をして眠りを催させる他の要因によって限定される。例えば人は、酷暑の場合には、食事の後あるいは労働の後には、昼間でも太陽のまぶしさに影響されずに十分に眠ることが出来る。これに反して、睡眠の必要が全くない時には、真っ暗な中でも十分に眠ることが出来ず、あるいは全然眠れないことがある。ここにおいて我々は、気候に明瞭に適合した身体的および心理・情緒的周期は、ある意味、「自発的」にして随意のものであること、および気候的周期の変化には、ただ一定の範囲内においてのみ従属するものであるという事実を見る。人類の心理・情緒生活において、覚醒と睡眠との変換は、「日」週気候の光と闇との変換によって定められる。しかしまた、全く束縛されるというものでもない。例えば、亜寒帯においては半年は明るく、他の半年は暗い。こうして気候の変換は、ただ、暗い冬の眠りが   [p245]   、明るい夏の眠りよりも深いという範囲の中でのみ、気候に適合するということなのである。毎日の覚醒と睡眠との割合は、普通の気候におけると同じ三分の二と、三分の一との比例を保っている。これらの周期は、人類の身体に対して明らかに固有のものであって、その境遇がどのように変わっても到底逃れることがでいないものである。このように、かつては外部の影響、例えば気候によって形成された身体的、および情緒的周期が、その根本の周期関係を永続して、どのような事情の下においても遂行するというような、固有の周期に変換されるという事が身体的・生理的周期現象を通して行われる。

  また、これらの見地から、睡眠と覚醒をその相合関係から見るのではなく、それぞれが個々別々に現わすところの経過を観察するのは大いに興味のあることである。今、以下にその結果を述べる。


    二  常態の睡眠深度曲線    睡眠深度とは、心理的経験を消失する範囲とその程度を現わしてる。最も深い睡眠状態は全く夢を見ない常態であって、最も浅い睡眠とは夢に満ちたものである。また、非常に浅い半睡眠状態にあっては、自我意識とある程度の意思能力がなお、混濁されず、または抑圧されずに活動することがある。また、睡眠深度が変化するということも、普通の経験から見ても明らかである。   [p246]   実験的研究の際には、眠っている者を目覚めさせるのに必要な音の強度によって、眠りの深さを確定する。この音の強さは、定られた高さから落下して金属板に跳ね上がる、象牙球によってこれを加減する。クレーペリンおよびその学徒によって行われた数千の実験は、この方法を用いて驚くほど規則的な形式を持つ、睡眠深度の曲線を導きだした。

これらの曲線によれば、健康な人は眠りにおもむくと、はなはだ速やかにその睡眠深度を増して行き、一時間から二時間の後には、その最大深度に達する。ここにわずかな時間のあいだ止まり、そして後、深度を次第に減じて行く。さらに六時間を経過した前後に再びわずかに深度を増して、七時間から八時間に至ると十分な睡眠の結果として自発的に覚醒する。夜中の、全体の平均睡眠深度は、最初の四分の一の期間内に到達した最大深度の、ほとんど半分にも達しない。

都会以外の生活において、いたるところ見ることが出来る「自然な睡眠時間」は、おおよそ平均すると以下のように定めることが出来る。睡眠の初めは、夜の八時ないし十時で、覚醒は朝の四時ないし六時の間になる。従って最大深度は九時ないし十一時の間に、   [p247]   そしてやや小さい朝の最大深度は、三時ないし五時の間に起こる。こうして、「夜半以前の眠りを最も重要」なものとした古い言い伝えは――もちろん自然な生活習慣を続けたと仮定して――実験心理学によって確証を得たことになる。しかしなお残る問題は、このような夜ごとに反復する睡眠深度の周期は、周期としての「日」週気候、特にその夜の部分と因果関係を有し得るのかどうか、というところである。

  睡眠は、みな真夜中に起こるために、人はまた睡眠の深さまでも、夜の暗さの深さに応じて変化すると考えてしまう。しかしながら、夜の最大暗黒と眠りの最大深度とは正確には一致しないことは明らかである。最大深夜は夜半に起こるが、眠りの最大深度は、これよりも一時間ないし二時間、あるいはこれよりもっと以前にある。また普通に考えると、自然な生活状態にあっては、温帯における人類の睡眠時間は、ただ夏において少し夜間と一致するだけだという事である。こうして、少なくとも一年の三分の二以上は夜間よりも睡眠時間が短く、またその差が大きいほど、暗い時間に覚醒時間を増やすこととなって、そしてその配列は、覚醒が朝の日の出から遠ざかるよりも。就眠が黄昏から遠ざかる方へ著しくなる。この中に我々は、   [p248]   最大睡眠深度をなるべく最大暗黒と一致させようとする本能的傾向を認めることが出来る。しかしこれもまた想像に過ぎないのである。

  睡眠深度の変遷と、温度の「日」周期よよびこれとだいたい半比例する湿度の「日」周期とは、非常に異なっている。最高温度(これは[比較]湿度の最小値である)は、正午の少し後に存在し、最低温度(これは比較湿度の最大値である)は、日の出の少し後に来るものである。従って、これらと睡眠深度との間には、何の因果関係もない。

  気圧は毎日二回の極大と極小のサイクルを示す。これを「気圧計の変転時間」という。昼の極大は朝の9時から10時に、極小は午後の3時から4時に起こる。夜の気圧の極大は、睡眠深度の極大(これは少し遅れて起こる)とほとんど一致し、昼の覚醒のそれとほぼ一致する。こうしてここにも因果関係の存否が、少なくとも残らざるを得ない。

  空気の運動[風]は、ほとんど問題にならない。なぜなら、睡眠は常に風のない所で行われるからである。空気の運動は、昼の1時ごろが最大で、夜はどの時間もほぼ少ない。こういうワケで風は、睡眠に対してはほとんど影響がない。   [p249]   

  しかしながら、電気の作用は非常に興味がある。空中の電気量の極大は、夜の9時と朝の8時で、極小は、朝の3時と正午0時である。このように夜間の極大および極小は多少、気圧の極と一致し、従って睡眠深度の極大と覚醒とに対してほぼ同じような時間的関係に立っている。

  こうして我々は、睡眠深度の変遷が、とにかく気圧の夜間周期あるいは空中電気の夜間周期、あるいはその両者の結合と因果関係を持つのかという問題に答えて、最大の気圧と空中電気は、最大の睡眠深度を生み出し、最小の気圧と空中電気は覚醒をもたらす、と断言はできないとしても、少なくとも単なる問題として存在させ得る。そしてこれは可能なことである。しかしまた同様にこうした状態は、眠りと目覚めの境い目においても、また眠りが目覚めに至る全体の事情に関しても、すべてが暗い夜という世界でなされるものであって、電気、気圧、風、湿度、温度等々といった様々な個別の位相において、個々別々の固有の周期が偶然に重複した状態を見ているのである。あるいはこうした事実の経過を定めたものと言うことが出来る。神経質で敏感な人々は、睡眠の障害は、夜の天候変換に対して極めて正確な鑑識法となるという、   [p250]   昔からの経験は、周期に関してはすでに価値のないものである。なぜなら、このような人の睡眠は一般に、普通の睡眠条件から少しでも相違する場合には、常に本人の情緒的平均が壊れ、眠りから覚めてしまうからである。


      三  精神的作業の日中の変遷    約半世紀前には、フィヒナーのような研究者ですら睡眠深度の法則を研究しようとする企ては、ほとんど絶望に見えた。しかし今日、その主要な事項は解決された。こうして覚醒状態の同様な研究において遭遇する困難の解決は、我々にとって、より重大になったように思われる。しかもこの場合、その徴候ないし原因としての、予測できない諸要素の混雑は、睡眠の場合よりも非常に多いのである。

世の多数の人々は、一日のある一定の時刻が、「最も愉快に感じられる」、最もよくよく「活動[作業]し得る」、「真に初めて蘇生する」などと言う。「朝の時間はクチの中の金」という格言が示す印象は、朝の経験は客観的な活動能力の頂点というのを認めつつも、その客観的価値の正当な使用を、主観的には忌み嫌われていることを意味している。しかし、世間の多数の意見によれば「覚醒曲線」は、   [p251]   人によって非常に異なるのみならず――我々はこれを類型として区別する――また覚醒曲線の形成には、非常に異なる生活習慣すなわち栄養、社交、職務などの諸要素が関係するのを見なければならない。これらの諸要素は一部分は教育によって、一部分は環境の圧迫によって、また一部分は習慣によってその様式が定められたものである。こうして気候的な「日」周期と情緒的「日」周気との当然の関係は、以上の複雑に絡み重複し、錯綜する諸要素の関係によって全くワケの分からないものに終わってしまう。
  
  「原始的な」なおいまだ「一日分の活動[作業]」を成すに至らない人々が、単に「一日の中で」生活しているというのは、我々のほとんど知らないところであるけれども、これは事実らしいことである。我々が「自然的」すなわち田舎の生活状態として今日も見ることが出来る1日の区分、およびその活動の重要な部分が例外なく早朝に移されている事などは、実際には主観的要求から適合されたものなのか、あるいは活動能力に関しての人々の思慮ある経験の結果として示されたものなのかは、依然として疑問である。また以上の事実が、生活に最も重要な家庭の生物、すなわち栽培植物および家畜の生活条件に適うものなのかどうか、というのもなお疑問である。実際の生活習慣を観察するときには、種々な心理的性癖、そしてそれに相当する活動の頂点というのは、   [p252]   互いに著しく相隔離するものである。すなわち知的あるいは心身的(これは普通身体的活動として現れる)な努力は、朝にその頂点を有するも、休養容易なる活動、遊戯ならびに性欲的活動は、反対に夜においてその頂点に達する。こうして、我々が精神的緊張力を基準に見たとき、覚醒曲線が朝から夜に向かって次第に降下してゆくというのが、変わらぬ事実である。しかしまた、こうした能力が減少するに従い、それとは別の比較的衝動的な情緒的能力を次第に増大させるものである。

  しかしまた、普通の経験によっても、覚醒曲線が二つの波長を示し得ることが考えられる。多くの人々にとって早朝は活動能力の頂点となり、日中になってその能力の減少を見、その後再び著しい上昇を起こす。しかし午後の頂点は概して朝のものに及ばない。ここに付加すべきは、早朝においてしばらくなお眠気を覚えるという事実である。人はこれを逃れようと冷水で身体を洗い、または珈琲などの嗜好物で刺激を加える。こうした事情を考えれば、覚醒曲線と睡眠曲線とは、その根底では同じような経過をたどる。すなわち覚醒曲線もまた、睡眠から覚めたのち急激にその頂点に達し、そのままでしばらく続いたのち次第に下降する。   [p253]   しかしながら、夜の睡眠の要求に移る少し前に、なお一回の小頂点を示している。これらの推測は、実際様々な方法を用いてその事情に関する研究の結果として確かめられるに至ったものである。また、これについては、純粋な「知的活動」と、著しく身体的な色彩を帯びた「心身的活動」との両者間には大きな違いがある。また、食事時間の配分によっても恐らく差異が生まれる。しかし全体としてのこれら覚醒曲線の状態は、一つの明瞭な、たとえ一時的なものだとしても、主要な「形式」を現わす。

  そうだとすると、これらの曲線は気候的に解釈できるものなのだろうか。

  こうしてただちに我々の目に映るのは、活動能力の極小というのが、日中の極大温度の時間帯とほとんど一致するということである。暖地および夏季においては、日中の活動の能力、少なくともその興味が減少するというのは自明の事である。前に暑熱の心理的作用において学んだ事実は、すべてこのことを確かめるものである。日中の時間は自然な活動状態においても、一般には休憩時間となっている。すなわちこの時間内に主な食事の時間と、それに伴う疲労状態を補う休息時間とを必要にしている。しかしながら「日」週気候の、他の基本要素については、同じような関係は明らかになっていない。自然の状態に従えば、人類の主な活動は、温帯においては暖かい季節に行われるものであって、   p254]   冬は比較的休養時期となっている。このように暖かい季節というのは、労働の慣例の設定、すなわち日々の作業の配列(スケジュール)に決定的な時節である。すべてこれらの事情を熟考の後、寒い月は暑い月よりも日中の作業の極小の度合いが弱く印象されるというのは、興味のあることである。この研究の結果は積極的あるがゆえに、日中の心身的作業の沈滞は、日中の最高温度の関数であるとして十分説明できる。また、我々が以前に述べたように、冬においては適度の温度の上昇が日中に起こるために、活動曲線は他の季節と反対になるという「反対論」は無数にある。なぜなら、人はたいてい冬においては、人為的気候の中に住むために、外の1日の温度曲線とは比較的無関係に暮らすからである。作業曲線は、現在なお外部の気候周期に規定されるために、それが夏季において明瞭に印象に残り、冬季には漠然としか印象に残らないというのは、自然な成り行きである。また、作業曲線はその起源においてのみ外部の周期に連動し、その発達と経過において固有の周期を持つものであるために、夏季の「日」周期がその固有の形成に対して、決定的に働くというのもまた自然の結果である。しかしこれは、夏季においてのみ、自然の周期が身体に対して十分な影響を及ぼすことが出来るからである。   [p255]   従って我々は、毎日の身体的作業曲線は、その中間において日中の極小を示し、温度曲線と相反する平行を為すものである、ということが出来る。しかしながらこの作業曲線の性質は、今日もなお影響を及ぼす温度との因果関係によるものなのか、あるいは、はるか昔からの、同じ関係によるものから発達した種族内部の固有の周期によるものなのかは、季節自身が持つの固有の曲線との違いを研究して初めて決定し得る事である。もし冬における活動の減退が、他の季節と同じく著しく起こる場合には、その周期は今日の固有周期に接近しているということである。しかしまた、冬において周期が曖昧となるときは、他に連続的に働く外界の周期を考える必要があるということである。

    <  レーマンのこの問題に関する研究は、一日の気候の変遷を考えなかったために、なんら決定的な結果をもたらさなかった。彼が力説する心的活動方向と情緒的活動方向との差は、気象学的影響によって容易に説明できる。また、これらの活動においては、もっとも適当な温度に差があるということ、および主観的な活動気分と、客観的活動能力とが一般に異なるという事も明かな事実である。活動曲線の形状も、その後の研究によって少し訂正された箇所がある。また、活動の極小に一致する日中の温度は、一般に絶好温度以上のものではない。しかしまた一般に、疲労しているときの絶好温度は、疲労していないときよりも低い。
[? 疲れているときは、暖まる方が緩んで広がって癒される。活動のことを作業と言っているように、業務上の作業について言っている。だから、疲れてだらけて休むのでなく、少し休んで緊張しつつ作業に赴くという事なのかも知れない。それとも「安静にする」というのは、ほんの少し冷やすくらいにするという事なのかも知れない。]
また涼を取る場合にも、疲労する際の絶好温度は、そうでない場合よりも高い[???]。   [p256]   すなわち、疲労は極端な温度に適さないという事を知らなければならない。こうして日中の温度は、作業者にとって絶好温度よりも、ほとんど高いものにならない。また、休止する人は、労働する人よりも一般に低い絶好温度を持つものである。
  屋外で労働する人にあっては、自然の影響が直接その身に及ぶことで、大いに興味がある。こうして太陽光の極大の時刻は、極大温度の時刻と一致しないという事をもって、光線と作業とは直接に一致するという事がないようである。また、太陽光線の影響は、著しく不安定であるがゆえに、これと作業との関係[活動]は、ほとんど研究の価値がないように思われる。 >

  しかし、日中の作業[活動]減退の原因を、温度の変遷によって説明したことが、全体の覚醒曲線の「日」週温度曲線に対する従属関係を、その中に含むのかというと、決してそうではない。最初の作業頂点が、「日」週温度曲線の始点ではなくて、この始点から急激に上昇した後に存在することは、確かに固有周期的事実である。この上昇は、未だ全く睡眠から覚め終わらない時間を示すものである。このような時間には十分疲労が回復しているにも拘わらず、それぞれの睡眠の後には必ず現れるものであって、これに要する時間は、毎日見積もって置かなければならない。この他。同一の作業を毎日反復する場合には、練習の要素を加えなければならない。少なくとも容易に練習できる作業においては、   [p257]   休息の間に起こる練習の損失を補充する時間を考えなければならない。またこの場合には、現在の作業研究において採用されている鼓舞および慣れなどの諸要素を考える必要がある。これらの要素が相集まって、日常実行しつつある作業の固有周期成分を生み出し、それがまた、最初の作業頂点を作業開始の少し後に移しているように見える。夜における作業能力の減衰もやはり固有周期的である。これは実に睡眠経過の予備として現れるものに外ならない。こうして前に、覚醒と睡眠との変換について説明したような意味において、これもまた、固有周期的なのである。終わりに作業曲線の午後の上昇について述べなければならない。人はこれを日中の減衰の簡単な継続として判断することがある。すなわち日中を過ぎるとき[夕方、それとも夜?]は、温度は次第に疲労者に対する絶好域に近づき、こうして再び新しい作業増加を可能にする。ここに、日中の休息および栄養の摂取などの諸要因が、いかなる範囲にまで元気回復の作用を営むかを研究する必要がある。、また一般に休息せずして働き続けるときには、午後の上昇が再び起こるかどうかをも観察する必要がある。そして、この上昇と関係させることが出来る、積極的な「日」週気候的要素は、温度の他にめぼしいものが見当たらない。   [p258]

  これを要するに、今日知られている範囲内においては――実際断片的なものに過ぎないのであるが――精神的および情緒的活動能力の「日」週曲線が、その主要な点において、身体の活動可能性の固有周期的表出として現れているのである。ただその中間において、日中の極みと、その近くの部分は、温度変遷の「日」週気候的要素と因果関係を持つように思える。こうして特に温度の頂点が、もっとも深い活動沈滞に相応することに注意しなければならない。


    四  変態的「日」周期   自然な生活事情の下でも、個人の睡眠深度と精神的作業曲線は、上述の常態の形式から多少偏って移り行く。しかしこれらの偏移は、都会の文化生活の展開と共に、多くの人々において行われている。都会人は、彼らの職業の厳しい束縛によって、植物および動物界の日々の生活とは全く無関係となる。しかし田舎の人々には、こうした他の生物界の生活が、彼らの生活の一部分となっている。他面において、都会人には生活の享楽の増大がある。彼らの享楽は、その最も強烈な刺激を、輝く密閉した室内において発展させたもので、そしてその特有の舞台として夜を要求する。また、都会の騒音に満ちた日常生活においては、   [p259]   精神的または特別な平静を必要とする義務的な作業を、夜間に延ばすことが多い。こうして都会の生活は夜の方向へ移動して行く。特にこうした移行は、都会がいわゆる「都会的」特質を体現する程度に比例して起こる。大都会の住民は、平均して田舎の住民よりも3〜4時間遅く目覚め、夜はまたそれに応じて遅く眠りにつく。彼らは少なくとも暑い半年の間は、明るい朝の一部分まで寝過ごし、それに応じて夜の一部分を起き続ける。こうして彼は覚醒と睡眠、光明と暗黒との周期的相似を破壊する。そうして様々な激しい心身的努力を睡眠の前の時間に延期する。実に大多数の都会的「慰安」はこのような努力を要求する。これらの事情によって、彼らの睡眠深度および覚醒時の活動能力は、その過去において著しい変化を受けることになる。こうした変化は、多くの人々の先天的変態ときわめてよく似ている。

  彼らの睡眠深度は一般に減少することが認められ、従って睡眠深度曲線の頂点は、低くなる。彼らは、この頂点に普通よりも遅く到達し、第一の頂点は睡眠後2〜3時間でようやく訪れる。また、朝の増進は、第二の頂点を作るものであるが、   [p260]   これは第一の頂点とほぼ同じ位置にまで上昇する。そしてこのような変態睡眠は、夜の前半は常態よりも浅く、後半では一層深くなるに至る。

  その結果として覚醒は困難となり、眠気は著しく残り続く。しばしば朝の時間の大部分にわたって眠気から覚めないことがある。そしてそのために覚醒曲線が朝の全部にわたって最小となり、夕方ならび特に深夜において最大に達するということが多くなる。一般には、この覚醒曲線の上昇は午後に始まる。そうして深夜に至っても睡眠の要求はわずかであって、従って就眠は遅れ、かつ、最初において睡眠深度は著しく浅いということが十分に理解できるのである。

  これらの変化の中、何がもっとも根本的なのかは、多くの場合において定めるのは困難である。一般に生まれながらの変態者は睡眠深度の過程が最初に変化を受けるようである。また同時に覚醒時の活動過程も変化を受けることがある。神経過敏の小児は、しばしば幼いころから夜に非常に活発になって、睡眠も最初は不安定にして、夜の後半期において深くなり、かつ、朝において数時間にわたる激しい疲労を現わすことが多い。   [p261]   多くの場合に、睡眠の変異は最初に観察される。また、昼間の変移はまず知性における学校の要求、および真の「精神的作業」に対する義務などと相伴って現れる。しかし全体の変態が、生活習慣によって得られる場合には、それは主に睡眠の初めの遅延、「夜の生活」、「夜業」などにとっもなって始まる。そのため睡眠の最初は浅くなり、朝が遅くなるのは、その一種の自然な補完として現れてきて、その影響は朝起き後の眠気として残る。このような方法によって本来常態の体質を持つ多数の人々が、生活習慣の変化に従い変態の曲線を現わすに至る。他面において多くの人々は、都会生活によってのみ、その真の変態的素質を開放するに至ることがある。なぜなら都会生活は、田舎の生活とは異なって、こうした特質に従って進み、また、活動の主要な部分を一日の後半部に移すことを、可能にするからである。この常態と変態との間には、想像し得るすべての中間変態とその混合常態の存在が見られる。

  覚醒曲線の山と谷が、どの範囲まで客観的な活動能力に関係するのか、また、その活動の傾向にどの程度まで影響するのかという問題は、我々が未だ知らないところである。我々は概して自制によって――早い就寝、夜業の減少、   [p262]   朝の活動などを非常な反抗意志と戦って成就する場合にも――この曲線を多少常態に戻すことが出来る。しかしその素質を放任し、あるいは変態の習慣をますます助長するときは、常にますます「夜を昼」に変えて行く。こうして生来変態的な人の「日」週曲線は、決して真に常態となることがない。そしてこうした場合、人は常態からますます離れる傾向を防止するだけで、満足せざるを得ない。

  生来変態的な人々の日周曲線が、日周気候の基本要素の一つによって変えられるかどうかは、非常に興味のあるいい問題である。日光と温熱とは、実に常態の曲線を決定するので、最初から離して考えなければならない。そして変態の曲線は、常態の曲線の正反対ではないということから、光線と気温とが[日周気候がもたらす活動の曲線に対して]、反対方向に働くという事も不可能である。また、湿度は温度の一日の変遷に反比例するために、同じく問題にならない。次に、我々が気圧計の変化時刻、および空中電気の極大極小を観察するときには、一見して精神的な夜の活動と、気圧および空中電気の夜の頂点との間の関係に迷うことがある。しかしこれらの二要素は、朝に第二の極大に達し、それが朝の倦怠の時間と一致するので、この関係[気圧と電気]と前の関係[活動の日周気]とを一致させることはできない。   [p263]   このような心身の変調に対して気候の影響がしばしば問題にされるが、――我々はすでに神経質な人に、天候感覚が特に拡大されるというのを見た。そしてこの方面でさらに年周期の観察の結果を発見するところがある――我々はなお、日周気候中のある一つと、変態的日周期との因果関係が、いまだハッキリしていないと言わなければならない。

  これらはまた、心身的体質というのを、個々人の固有周期として表すこともできる。このような固有周期は生得的なものであっても、また一定の生活習慣によって、一定の点において常態の周期が破壊された反動として、その周期が改造されたものとしても現れる。われわれはまた、日周気候のすべての決定条件知らないという事を忘れてはならない。またここで分析した変態周期は、実にしばしば起こり、かつ、もっとも重要なものであるけれども、実は、これは変態の生得的・遺伝的形態が一致して示すところのものである。また、決して病的日周期の唯一の形式でもない、ということを見過ごしてはならない。例えば、我々は躁うつ病の場合に、我々の夜業や朝寝の形式とは全く異なる、変態の日周気を発見する(その念周期については後の章で述べる所がある)。しかし、適当な分析を試みることが出来るほど、いまだその規則性について十分に知るところがない。   [p264]

   <  夜間の気圧と空中電気の極大によって、普通の人が就眠し得るという事実は、必ずしもこれらの極大が変態の人々を覚醒の状態に保持し、かつ、興奮させるために利用されるのを防ぐものではない。変態は常態と比較すると、様々な矛盾と刺激に対する反対の反応から成立する。だからまた、以上のことは、別に異なことではないのである。

     心理生活の、常態と変態の「日」周期の正確な研究をするには、先に気候的でない慣習的条件を十分注意して観察しなければならない。これらの作用によって周期的に現れる規則性が成立しているのである。ここで、ただ作業の区分だけについて考えると、精神的作業は各人、みなその特有な周期を持つために、イギリスの標準に従った作業の時間的集中は、ドイツの標準に従った時間的作業区分よりも、全く異なる心理的日周経過が形成されざるを得ない。また食事の時刻とその範囲とは、常に重要な要素となる。神経衰弱による朝の倦怠は、豊富にして有効な(イギリス風)の朝食の習慣によって直ちに消失されるのが見られる。また、他面において睡眠の深度は、晩食時間によって多少の影響を受ける。

      動物における一日の心理的周期性については、ただその概略を知るだけである。ここでも、睡眠と覚醒の区分は非常な違いがある。夜の動物、薄明かりの動物、朝と午後の動物などがある。これらは様々な方法によって、一日内部での睡眠と覚醒の変換を成している、ある鳥は夜に3時間眠り、   [p265]   また昼間にも何回となく数分間眠り続けるものがある。また、睡眠時間と睡眠深度との関係も全くそれぞれが異なる。例えば、犬はきわめて多く眠るが、その睡眠は常に浅い。すべてこれらの関係の徹底した研究は、すこぶる複雑で、未だよく研究されてはいない。

      フォーレルの報告によれば蜜蜂の毎日の疲労曲線は、はなはだ正確な周期があることが示されている。ミツバチが美味を発見したときは、たとえその美味が消失されても、毎日同時刻、同じ場所に欺かれる。では、どのようにして正しい時刻を知るのか。我々はこれを、活力または疲労の程度を示す一般感情によって説明できる。活力と疲労の程度が毎日同じ時刻に、常に同じにならざるを得ないからである。この他、日中の光線は、実際には雲のために非常に変化するので、これが時刻を蜜蜂に告げることはないようである。要するに、ミツバチのこうした行動は、非常に興味のあるもので、多くの問題がこの中に含まれているのを、我々に示している。 >

     

        第二節  心理生活の年周期


   一年とは、地球が太陽を一回転する時間である。しかし、一日の光明と暗黒との変換が、地球自転の直接の効果ではなく、太陽に対する方向の変化に基づくように、   [p266]   一年という特殊な事実も、太陽の周りを地球が運動するために起こるのではなくて、この運動の際に、地球の軌道に対する地軸方向が変移するために生ずるものである。これによって、地上の一日が形成される方法が、毎日変遷することになる。このように、日中の明暗の時間の割合が毎日少しづつ移り替わり、一年を経て再び同じ変化を反復するのは、一年の期間を定める事実であって、これに基づいて他の気候的および生物的規準などの特性が生み出される。人間については、これら広義の徴候は実に重要なものである。我々の実際の感覚について言えば、それぞれの季節は、その日の明暗の区分、温度および降雨の関係、動植物の状態などが最も目立つ印象を与える。例えば、我々の温帯の冬では、短い昼間、寒冷と降雪、動植物の冬眠などがそうである。

    寒帯について言うと、光明と暗黒によって生ずる「日」の形態は、その他の土地のだいたい一様な状態とは、非常にその趣きが異なる。こうして一年の季節は、3種の主要な気候帯によって区分される。熱帯地方においては、一年は乾季と雨季との交替に限られる。寒帯においては、それは夏季と冬季のみである。   [267]   そしてその中間帯、つまり亜寒帯と亜熱帯から温帯にいたるまでは、常に明瞭にその特性を現わす過度季節のために、非常に複雑になる。この中で季節というのが4つあるために、根本的に明らかに分離できる6つの季節を得る。盛夏と厳冬は特に強い輪郭を持つ概念である。しかしながら、春と秋は、気象的および風景的な見地からまったく相異なる2季節ずつに分かれる。春は初春(3月頃)と晩春(5月、6月の初め)とに別れ、秋は、初秋(9月頃)と晩秋(11月、12月の初め)とに分かれる。これらを合わせて6個となる。ドイツの緯度[48度]では、冬は12月の半ばから2月の末まで、初春(氷雪の溶解季節)は、それから4月半ばまでおよび、晩春(温暖・新緑の季節)は、4月の末から6月半ばにおよび、夏はそれより8月の半ばまでで、初秋はそれから10がつの半ばにおよび、晩秋(または初冬)はそれから12月半ばに至る。ここにおいて人々は、これらの区分に一つ一つの気象学的、および生物学的な根拠を示すようなことはしない。しかしながら、これらの関係をよく考察するならば、こうした区分は、実際の現象とよく適合しているのを発見する。しかし、季節の特性とその地上における変換が、非常な差異を現わすという事は、   [p268]   我々の、[周期]問題の研究に特に利益を与えるものである。この差異は、我々が一年にわたって配列し順序付けられた周期的変化といったものが。外部の周期に基づくものなのか、または身体固有の周期に基づくものなのかというのを、容易に識別できるようにする。身体の固有周期は、亜寒帯と寒帯の異常な昼夜の状態に対して直ちに反応する。また季節の性質は、それが寒帯でも、温帯でも、熱帯とを問わず、みな著しく異なるために、周期的な心理現象が自己の内部に根拠があるのか、あるいはその季節の性質に適合されたものなのか、というのは容易に判断できる。

    こうした関係を、我々が常に研究の終わりに示すところの現象、つまり動物的および変態的関係に関係づけて考えると、この例外の現象が年周的変化を示すものであることを知ることになる。

    一  性欲    性欲あるいは交接欲と言われる、生殖腺の産物を排出し、または受納しようとする熱望は、多くの野生生物に周期的に見られる。性欲はそれに伴う身体的前兆に相応して、一年に一回から数回一定の間隔をおいて起こる。   [p269]   ただ、家畜にあっては、この規則はある程度まで破壊されている。しかしなお、雌のみは規則的に性欲が高進・減退する習慣を保存している。しかし雄は絶えず性欲を興奮させ得る。この興奮の猛烈の度合いは、主に外界の知覚、雌の姿・声・香りなどによって、あるいは偶然の生活方法、豊富な栄養などによって決定される。例えば人間の場合、文化人がそうである。[これは間違いで、文化人であろうとなかろうと人間はみなそうだ。むしろ非文化人がそうだ。]
 
    一年の交接時期の自然的区分は、個々の種族によって厳密に定められていて、互いに相類似する種族においても、非常な差異を示すことが多い。こうして、同じ気候要素から同じような興奮を生ずるというのは、全く不可能である。もしも気候の上から見て、正反対の季節に性欲の興奮を催すとするならば、それは外界の周期とは関係なくして、他の原因から生じた固有周期に基づくものとの決論を得る。実際、多くの動物学者たちは、ダーウィン説の仮定に傾いている。その見解によれば、この見解によれば、性欲は子孫の発育にもっとも適当な季節に分娩期を移動できるように定められたもので、またそれは自然淘汰の結果でもあると。われわれは、この説の是非を判断できないけれども、性欲と季節との依存関係を、   [p270]   主に間接的なものであるとする思想の範囲においては、特に抗論する必要はない。分娩期によって決定さる交接時期を持つ場合には、個々の動物の性欲興奮の経過は、気候によっても定められることがある。いかなる範囲まで、動物界にこの事情が適用されるかは、我々の知らないところである。しかしまた後節で我々は、その一端に遭遇することになる。

    しかし確実なことは、文明によって「定めらた交接期」から解放され、間断なき興奮を成すにいたった人類の性欲というのが、いまなお気候によって多少の影響を受けるということである。統計によると、4月から6月に至るまでは、常に懐胎の増加を来たし、5月がもっとも著しい。こうしてこの季節は、性的活動が特に高進する時期に相当する。確かにこの場合、間接的な影響も作用している。例えば、このころから夜間屋外で遊ぶ機会が始まるというのがそれである。
[妊娠から出産までの懐胎期間はおよそ10か月。]
[知ってる者同士なら屋内の方が落ち着いて十分にsexしやすい。この場合、見知らぬもの同士のsexを言っているのかな? それとも屋外で知り合って屋内でするということ? しかしやはり屋内いても、春は気分的に緩んで何かしたくなるものだ。] 
既婚者と非婚者の懐胎度数の曲線は、すべての年齢と様々な民族で、天候とは関係なく、寒く降雨多い春でも、主に同じような経過を示している。そうだとすると、すべての直接・間接の影響の有無にかかわらず、人類の性欲興奮は、晩春にその頂点を持つ年周期の常なる存在を示している。   [p271]   このような興奮は、主に男子に現れるものなのか、または両性に等しく特有なものなのかという問題が生じる(女子の性欲の特殊な波動については、後節で述べる)。しかし、そのどちらにしても、春季における性欲の高進は、この季節に起こる一般的な心理的興奮の一部分にすぎない。

      <  アシャフェンブルクの統計によれば、1827年から1869年に至るフランス国内の受胎時日の平均の割合は次のごとし。

1月    7.485%
2月    8.0%
  3月    7.85%
  4月    8.69%
  5月    9.21%
  6月    9.08%
  7月    8.76%
  8月    8.25% 
  9月    8.46%
  10月   8.91%
  11月   7.89%
  12月   8.02%

  ドイツの1872年から1883年までの、受胎の毎月の割合は次のごとし。

        既婚者   非婚者
  1月     100     91
  2月     99      95
  3月     99     103
  4月    103     110   [272]
  5月    106     116
  6月    104     109
  7月    100     104
  8月     97     100
  9月     95      95
 10月     95      91
 11月     98      88
 12月    105     100    >


    二  自殺、性欲的犯罪、精神病    自殺・性欲的犯罪および精神病的興奮の頻度の1年間の変遷を示す三つの曲線の頂点が、5月から6月にわたって存在する。これらの中、犯罪および自殺の統計は、もっとも正確に作れるが、精神病の統計は不正確である。しかし以下の経験によれば、これが決して迷信でないことが知り得る。精神病の興奮状態は、精神病院内において、以上の2か月の間にもっとも強く、そして最も頻繁に起こるのみならず、また同時に、入院患者の数も最も多くなる。また、一般に患者の入院時期は、患者の興奮程度によって決定されるというのは、我々が十分知るところである。これは、興奮の高進が社交、無害および家庭の給養能力などを減衰させるために、当然の事として理解できる。

     < デュルケームによれば、自殺の毎月の割合は以下のごとし。
[p273]

            フランス      イタリア     プロシア   
   1月        68        69        61
   2月        80        80        67
   3月        86        81        78
   4月       102 98 99
   5月 105 103 104
   6月 107 105 105
   7月 100 102 99
   8月 82 93 90
   9月 74 73 83
   10月 70 65 78
   11月 66 63 70
   12月 61 61 61

  アシャフェンブルクの統計によれば、ドイツにおける性欲的犯罪の毎月の割合は以下のごとし。

     1月      64
     2月      66
     3月      78
     4月     103
     5月     128
     6月     144
     7月     149
     8月     130
     9月     108
    10月      90
    11月      68
    12月      69

      イタリアにおける小児の同様な犯罪の割合は以下のごとし。

      1月       5.57%
      2月       5.24%
      3月  6.88%
      4月       8.59%   [p274]
      5月      10.95%
      6月      13.03%
      7月      12.42%
      8月      11.13%
      9月       8.93%
      10月       7.29%
11月 4.95%
      12月 5.05%

精神病に関しては、ロンブローゾの「天才と狂気」中に以下の罹病数に関する数字がある。

      1月      1476
      2月      1490
      3月      1829
      4月      2237
      5月      2642
      6月      2701
      7月      2614
      8月      2261
      9月      1604
     10月      1637
     11月      1452
     12月      1529
     >

    これらの規則性の心理分析の際には、二つの事実を特に力説しなければならない。第一は、社会的・経済的、およびその他の原因である。これらは、気候の心理的作用の場合にも容易に侵入して来るものであるが、この際にも、[異常な]現象の時期を決定するのに重要なものである。自殺と精神障害の原因は、一般的には、困窮、欠乏、失望などに基づくと言われているが、   [p275]   「年」週変遷の曲線に従えば、ただちにそれは誤りであることが明らかになる。なぜなら、人々が最も困窮する季節は冬だからである。また、所有権侵害が最も多く起こるのもこの季節である。しかし、精神病と自殺は、生活条件が良くなり感情も特に快活となれる春と初夏において、最も多く発生するからである。また、性欲的犯罪に関しては、人々、特に夫人と子供が屋外に長く留まる事、森林や寂しい地方における保護なき散歩、激しい飲酒などの物的要因は、ここに決定的なものとして取り上げることは出来ない。この犯罪の曲線は8月になればすでに降下するが、以上の「物的要因」は、そのまま継続するからである。しかし、常にその資格を失うことのない一要因、すなわち性欲を性欲を挑発する対象を見ることにより、あるいはアルコールによる強い興奮と自己抑制に簡単に失敗することなども、高進する興奮の主な要素として認められるものである。

  第二に、これらの曲線は、春と初夏においてその頂点に達する。従って絶対的な気温は、この曲線が上昇する気候的な原因にはならないのである。   [p276]   気温は8月に至ってようやくその最高値達するが、その時には曲線はすでに著しい下降を示しているのである。しかし曲線の頂部たる4、5、6、7月の間は、温度が次第に上昇してゆくのである。従って、他の要因が共に働かない限り、気温の高くなるというこの季節の周期的・気候的特性は、興奮の原因として認められるのである[?? 原因とその発現に時間的なズレがるということ?]。

    我々は、これらの曲線からの推論を制限して、これを多少病的な人々だけに適用しなければならない。なぜならこれらの曲線は、三種の現象[精神病・性欲的犯罪・自殺]から得たもので、全く特殊な個々の例外を除いて、それらの「年周期」的頻度が著しく一致しているという事が問題になるのである。ここに示した病的な人々は、全く一般に精神の不安定性を著しく高めるという事をその特徴にしている。そうして実は、こうした特性が一般の基礎となるものであって、ここから個々の著しく相異なる性質、すなわち精神病、性欲的犯罪、自殺などの候補者を共に発見するのである。こうして、これらの研究は我々にとって非常に価値のあるものとなる。なぜなら、それはわれわれに、一つの特殊な心理的変態の毎年の興奮の頂点を示すだけでなく、不安定な心を有する人々において、これらの頂点が心理生活の他の方面においても同様に、強く作用するということを、教えるものだからである。   [277]   こうした作用が常態的に起こるのは、性欲的興奮性の場合だけである[??]。病的興奮の年周期曲線は、その本質上、常態の性欲の変動と相似たものとして現れる。

      三  躁うつ病と神経衰弱  精神病者と健常者との境界において、我々は一群の特殊な性質を持つ人々を見る。彼らは、これまで見てきた周期曲線に対して、多くの補充を供給しいる。こうしてわれわれの問題と最も密接に関係してくるのが、躁うつ病である。この躁うつ病の変態的特性は、周期問題からの観察によって特に明白になる。

    < 躁うつ病的な心理状態のもっとも重い出現は、躁鬱狂(周期狂、循環狂)であって、その最も軽いのは、循環的気質(転心、機会変換)である。その特徴は、一個人に、二個の互いに相反する心理状態、すなわち軽躁と鬱憂が、一生を通じて一定の期間ずつ交合に入れ替わるか、あるいはこうした状態が時々何かの機会に、分離した発作の形式を通して現れてもくる。これらには様々な程度があって、その個々の一つ一つがあらゆる強度を示すのみならず、その結合の状態においても、一生に一回分離して発する躁狂あるいは鬱狂(鬱憂病)から、互いに入れ替わる交互的変換、および複雑な組合わせを持つ混合状態に至るまで、無数の段階がある。このような非常に複雑な状態を、その本質において心理生活の一個の統一的病状であると指摘したのは、   [p278]   実に精神病学者クレーペリンの功績に帰さなければならない。この病の2位相の本質的特徴は以下のごとし。

  軽い躁状態の特徴は、快活、喜悦、軽浮[気持ちが浮つき落ち着きがない]、楽観的な気分、妄動と多弁、活発な観念の流れ、詩の熟達と頓才[機転]の才、抑圧された疲労性[?]を持つ強い客観的作業能力、――強い自我感情、自尊、自負、および誇張の傾向、誇大妄想――そして、著しい身体的徴候、すなわち快活にして色沢ある若々しい外観、旺盛な食欲、強く興奮的な心臓、および消化器の活動、弾性ある肉体の緊張などが上げられる。

  次に、鬱憂状態の特徴は、抑圧され落胆失望する気分、精神的および身体的作業能力の著しい減退、思考の単調と緩み[鋭さに欠ける]、増加する疲労と倦怠――疾病感情とその表象(ヒポコンデリー[思い込み]的幻想)、微小妄想、侵害妄想、脅迫観念――そして、それらに相当する身体的徴候、枯れて萎えるような、老人じみた悲し気な外観、全身にわたる漠然とした疲労と苦痛、衰え緩む心臓の活動、困難な呼吸、食欲減退、消化器障害、便秘などである。
   >

    躁うつ病の多くの場合、躁鬱の循環というのが、一年の気候周期の中で包括的に結合されるというのは、不可能なことである。確かに我々は、真の躁うつ病の若干の場合に、その疾病の位相が、定められた時期の季節に規則的に起こる、というのを見てきた。今日、価値あるすべての材料に基づいて言えることは、冬季が主に躁うつ病を生ずるように見えるという事である。しかしまた、夏の躁うつ病も多く、特に春と初夏がそうである。   [p279]   このようにして、軽躁的位相に変換する、あるいは単に常態に復帰することは、特に秋と冬において確かに多い。とにかく、早急な結論に陥らないためには、一つの場合を数年にわたって観察する必要がある。

    <
    例えば、ある患者が、ある年以来から冬季に著しく憂欝的になり、夏季に少し軽躁的になることがある。しかしながら、この循環が毎年少しづつ移り行き、ついに5〜6年の後には、これが全く反対の関係になっている。これを通して観察すると、この循環は気候周期でなく、単に固有周期に基づくものであることがわかる。この中の憂欝的位相はほとんど常に6か月で、軽躁的位相は7か月にわたる。
    患者自身は彼の憂鬱の原因を、特に「秋の気分」のような風景的要素に好んで関係させようとする。軽度の躁うつ病の場合には、さまざまな出来事や事柄によって影響されやすく、また、抑圧した気分を作り出す憂欝病は、出来事や事柄の中の、憂欝状態と関連して適合しやすいというのは、明らかである。このようにして、だいたいにおいて躁うつ病は、その脳髄の状態に基づく病的気分に従って、外の印象を「着色する」という法則が成立するのが見られる。こうして、憂欝状態において憂欝的な色彩を帯びるものも、軽躁状態においては喜ばしく感じられることがある。この例に上げた人は、憂欝状態が冬に起こる間は、特に冬において悲哀、死、暗黒、寒冷を感じさせる。けれども、軽い躁気分が冬に起こるに至ってからは、彼は冬を社交、芸術、享楽、冬の狩猟の楽しみ、冬景色の美などを表すものとして期待し始めたのである。   [p280]

    このような一般的な特色を表す以下のような経験がある。すなわち、軽い躁状態にあっては、恋愛的冒険も自負や高慢の対象になったりするが、これが鬱憂状態にあっては、自己を責め咎める激しい後悔の念を起こすものとなる。しかしながら、ほとんどすべての病的鬱憂状態は、その病める者が遭遇する経験を誤って、ほとんど強迫的に受け入れることが確実である。そうした思い込みが、特に初期の軽い憂欝病において、、風景の印象、あるいはその真の天候および気候の原因を変形し、また変移させ、あるいは加工てしまう。
    >

    軽い躁鬱病は実際、「神経衰弱」と呼ばれている。そうしてその容態は、軽い心理的変態のすべての考えられる様々な状態を含んでいる。「神経衰弱」はしばしば明瞭な年周変化を現わす。しかしながら、その中から一定の法則を知るためには、まず周囲の状況に非常な注意を払う必要がある。それは、社交的、職業的その他の同じような諸要因が、極めて著しく影響するからである。学校の学年のような、職業年度の初め、中頃、そして終いには、それに相応する清新域または緊張の感がある。あるいは、社交の季節[祭事や公務?]のようなものも著しい原因になり得る。また、文化的住所、すなわち都会は、それが大都会になればなるほど、夏におけるよりも冬において適当な条件[人工的要因?]を備えるということは、見過ごしてはならないところである。そうして、すべてのこうした事情を考慮してもなお、大多数の「神経衰弱」者にとっての春および初夏は、もっとも著しい[気分や情緒の]底辺として現れるようである。この場合、楽しい風景印象の感受性と、   [p281]   実際に降下しつつある気分および作業能力との間の、対立と反抗が著しく現れてくる。このような人々は、春において、最初は常に大いに楽しむけれども、ただちにそれが自分にとって他の季節よりも、はなはだ悪いものであるという事を悟るに至る。特に不安・興奮・心配・憂悶などと共に、しばしば愁訴のタネとなる。こうしたことの結果は、単に、毎回偶然に感じられる春の天候が作り出したものと認めるべきものなのかどうか。この場合、外に対してなお正しく知られていない、周期的情緒生活の一位相を現わしている、というのが事実ではないだろうか。この周期の位相は、この季節の全体としての気候特性に深く関係しているのみならず、また実際の天候の著しく動揺した状態の種類と強度とも関係があるようである。このような興奮、あるいは興奮と弛緩が相行き交い混在する作用は、春と冬とにおいて、常に同じ割合で生み出されているようである。


      四  精神作用の年周変動   これは心理的年周曲線の確からしい証拠の最後の項として付け加えるもので、春と初夏において興奮の頂点を示すものである。これについては粗雑な観察を超えた多くの研究が見られる。そしてその結果は全然一致したものではない。

    いわゆる児童の「発育律動」は顕著な事実である。すなわち身長の発達は4月から8月までの間に最も著しく、   [p282]   9月と11月までは次第に遅くなり、その後の3月までは次第に増進する。しかし身長の発達が最小の秋において、体重の増加が最も著しく、春と夏の頃はこれに反する。シュイテンとロープジェンは、身体的および精神的活動について、ほとんど同じような結果を得ている。古い俗論に従えば、身体の発育が弱められたときに、神経の健康は最も好適になるために、身長が非常に発達する時期には、身体の活動能力に沈降があるべく、あるいはまた、著しく肥大する時期にその能力の上昇が期待できる。これに対して精神的活動はどうかというと、注意と記憶はその頂点を10月から1月まで、またその谷を盛夏に有していて、すでに1月から下降を始めている。すなわち、こうした変遷はだいたい身長発達のそれと反対である。

    筋力は晩秋と初冬[11月頃]および初夏[5月頃]において著しく強大になる。しかし、1〜3月、7〜9月の間に最も著しく衰退する。このように筋力は、4〜6月が頂点である。しかしこれと同時に、この時期、知的活動能力は急速な降下を示す。こうした事実は、前に説明した春と夏の特性と極めてよく適合する。

    我々は、精神病的な興奮、性的犯罪および自殺などの行為は、実際に高進する精神運動的興奮に基づくということを知っている。   [283]   そしてこうした興奮性向は、注意の集中と、記憶の機敏さには不適当であるが、身体的活動能力には適している。しかしまた、冬において身体的および精神的活動能力が共に高進するというのは、少しも不可能なことではない。こうした身体的な作業の実行は、極めて様々な要因、すなわち精神運動的興奮、荒い筋力の高進、ないし意志エネルギーの高進などによって高められる。こうした個々の場合について一つ一つ説明することは、我々がここで基礎にしている研究をもってしてもなお、不可能なことである。しかしまた、それを確かめることは極めて重要な事業となる。

    それぞれの場合に我々はまず、心理的年週曲線の輪郭を定める必要がある。すなわち冬における、心的ないし心身的活動能力がこれである。しかしながら両者の分離、特に知的活動の低下と、著しい精神運動的興奮を基礎とするような、心身的活動の上昇は、春と初夏に起こる。そしてまた、心的および心身的活動の弛緩とその低点は、盛夏と晩夏に訪れる。このような、精神病的・教育的・犯罪的および民衆統計的観察に基づく、これら曲線は、多くの人々の粗雑な経験と正しくよく一致している。

    前に述べたレーマン[→p255]とペダーセンの研究は、以上の結果と比較すると著しく異なるのが見られる。これらの研究者は、ただ筋肉作業についての連鎖的年周曲線を構成している。   [p284]   それは模範的な春の上昇と盛夏の下降とを示す。しかしまた、シュイテンとロープジェンとは全く反対に、晩冬の上昇と初冬の下降をも現している。この種の研究がなお幼稚なことを考慮して、我々はその差異をあまり強調せずに、その一致点を価値あるものとして認めなければならない。こうしてレーマンとペダーセンの特殊な結果は、その差異をなお十分に明らかにすることが出来るのである。この作業は、気候的活動変遷の「年」週期曲線そのものに注目することなく、これとは別に、個々の気候の基本要素に帰すべき活動能力の動揺を、それだけを分離して定めようとする特殊な研究を勧めるものである。この場合に挙げなければならないのは、日光と気温、そして気圧である。こうして身体的活動については特に考慮する必要がある。その結果は以下である。

    筋肉活動の年周期は二つの基本的な気候作用の数学的「和」である。すなわち筋肉活動は大気中の光線の量と正比例して上昇する。またこれは前に述べた絶好域に従い気温と関係する。すなわち気温が絶好域から下降すると、その度合いに従って活動も下降し、また絶好域よりも上昇しても活動の下降をもたらす。   [p285]   これらの作用の結果として、筋肉的年周期曲線は1月[真冬??]に上昇する。これは気温による障害が、十分な光線によって補充されてなお余りあるからである。しかし、盛暑[夏は6-8]においては正反対の状態を示す。秋[9-11]に至れば、気温降下の結果として曲線は再び上昇する。初冬[冬は12-1]においては、光線の欠乏と低気温とが相一致して、最も激しい活動の沈滞をもたらす。これらの周期に相対して、気圧の影響は多く非周期的動揺――「天候動揺」――を現わす。その結果を上げると春を中心とする半年は、筋肉活動は気圧と共に昇り降りするけれども、秋においては気圧とは全く無関係のようである。

    [
日光と気温とは必ずしも一致しない。ズレる。直接的な日光の量と明るさは、気温に対しては必ずしも直接作用しない。その前に冷えている地球自体が暖められねばならず、そのためにはそのシステムの内容に変化が起こらねばならない。地表の植生や氷の溶解、また気流の変化、季節風などがそうである。そうしたことが全体として暖められた後に気温が上昇してゆくのである。つまり、真冬でも日は早くのぼるのであるが、必ずしもそれに比例して気温が上がることがないのである。これはまた晩秋についても言えることで、とっくに日が早く落ちて久しいのに、なかなか寒くならないのはこのためである。だからまた、人間の身体の筋肉活動も日光の強さや気温の変化にも拘わらず、これに対応して生理や恒常性というのが変化するのに時間的ズレが当然必要になる。さらに傾向というか慣れみたいなものがあって、例えば毎日ほんの少しずつでも気温が上がり続けると、身体もそれに慣れて行き、それを見越してそのまま慣れ続けることになる。つまり、真冬の1度の温度上昇は春や秋の同じ1度の上昇よりも大きく影響するということだ。2月のささやかな温度上昇は、春の到来を予感させるもので、同時にそれと意識することなく身体がそれにあった生理や作用の仕方といったものを、準備して行くことになる。身体の構造や仕組み、そしてその傾向や方向性といったものが、季節の変化に合わせて慣れて行く。またそういう方向へと身体の代謝が準備されて行く。
    ]


    [日光と気温に適応する筋肉活動は]精神的活動に関しては、その結果は極めて不確実である。記憶は筋力と同じく基本的な気候要素によって影響されるようである。また非常に複雑で、半ば知的にして、半ば運動的な連続的加算の動作[?]は、光線に関しても、気圧に関しても、少しも影響を受けないようである。だとするとこの場合、気温だけが唯一の決定的な気候要素として残留する。これは前に述べた「絶好域」を示している。しかし、加え算に対する絶好温度の影響は、[知的活動の場合?]簡単な筋肉活動に対するその影響よりも極めて劣るようである。   [p286]

    また、以上のすべての結果を簡単に採用しようとするとき、こうした差異といったものが、様々な異なる気候帯で研究されたからであるとも言えるのである。筋肉活動の晩冬[2-3月頃?]における上昇は、光線[日光]に基因するものであるがゆえに、もしも晩冬が光線に乏しければ活動か活発になることはない。また、初冬における活動の低下の主な原因は、気温の低下であるがゆえに、もしも初冬がなお比較的に温暖なところでは、このような低下んはほとんど起こらない。

    シュイテンの研究地のアンヴェルスと、レーマンの研究地たるコーペンハーゲンとを比較すると、以上の二つの関係[地域による季節の温度差と筋肉活動との関係]が出現してくる。しかしロープジェンの研究地たるキールは、このような寒けは少なく、コーペンハーゲンとの気候の類似性がすこぶる大きいのである。レーマンとペダーセンなどは、シュイテンおよびロープジェンなどの方法を著しく不完全なものとした。我々は、コーペンハーゲンの研究を、著しい反対がないものと考えることが出来るけれども、それでもなお数多くの疑問が残る。しかしこのような研究は実に、心身的活動に対する基本的な年周期気候に関する、最初の言葉に過ぎない。その広大な道筋においてこの最初の言葉は、なお多くの訂正を必要とするものである。   [p287]

    我々が今まで論じてきた、すべての経験、統計および実験的研究によって、互いに相一致するものを摘出すると、おおよそ次のようになる。こうして我々は、その結果によって心身生活の年周期曲線を、気候的年周期によって決定できるようになる。すなわち、心身的および純粋の心的活動の沈降は盛夏に起こる。そしてまた、両者の分離は春の盛りに起こる。こうして特に心的活動の低下[8月?]と精神運動的活動の上昇[いつ?]とを来たし、遂には一定の位相に至るまで両者の上昇を生み出すのは、冬を中心とする半年の間である。これらは今日、すでにほとんど確定された標識点である。しかし、これを応用して個々の場合の曲線を定めるのは、将来に属することである。

    <
    ロンブローゾは、天才の創作的活動の年周期について多くの材料を収集した。その彼が到達した結果によれば、一般に夏は冬よりも天才的創作に適している。そして特に、初夏および晩夏は、盛夏よりも優れているようである。すなわち彼の表の最高値は、4月と5月に起こり、そして次に掲げるのは9月の末のそれである。

    第1表 芸術家が創作する毎月の比例(ロンブローゾ、「天才と狂気」から)
    1月   101
    2月    82
    3月    103
    4月    134
    5月    149
    6月    125
    7月    105
    8月    113
    9月    138
    10月   83
    11月   103
    12月   86    [p288]


    第2表  13人の天才の精神的作業の毎月の比例(同前)

    1月    98
    2月    78
    3月    96
    4月    122
    5月    137
    6月    106
    7月    96
    8月    109
    9月    119
    10月    80
    11月    101
    12月    82

    これらの結果によれば天才的活動は、我々が前に示した一般の精神的活動の法則には従わないもので、おおむね晩春の心身的興奮と結合することが明らかである。すなわち、全体としての天才的活動は、普通の人々の精神活動よりも常にむしろ、「狂乱者」の産物に比較し得るものである。もとよりロンブローゾの証明は全くの反論がないわけではない。ロンブローゾ自身も、その弱点をよく知っている。特に一つの天才的活動の、発生の日を定めるというようなことは、全く無謀なことをよく知っている。   [p288]

    それは最初の思想が閃いた日なのか、または着手の日なのか、あるいは完成の日なのか。実際、もしも晩春というのが常に、特に多くの「発意」を促す時期だとすると、年周期曲線において、それは運動的興奮が上昇する場所に当たるので、これによって説明が出来る。なぜなら、運動的興奮が表象の流入および活動を活発化することは明らかだからである。しかし、このような活発化は、一般の精神的活動には、有用というよりも、むしろ有害であることが多い。
    >


      5  固有周期と年周期    日周気の観察の場合には、固有周期と外界周期との関係に常に注意する必要があったが、これが一年周期の場合でも、なお意義を持つのだろうか。生物界の心的経験[?]は、このことを十分肯定する。植物の毎年の生活過程は、気候の影響に従い著しく左右されるものである。だとすると、この関係を、固有にして普遍的な生物年周期論の原理として確定することが出来る。しかし同時に、植物有機体の固有性は、しばしば十分に気候の作用に反抗し、それがために自己保存の障害を受けるにもかかわらず、なお維持されることが多い。このことは、植物界において明瞭に確かめられる。

    多くの植物は、異なる生活条件の下で生活する場合にも、なお同じ日にその花を咲かせる。我々が、毎日の覚醒と睡眠が、光明と暗黒によって引き起こされるとするように、   [p290]   気候的年周期の作用によって生み出されることのないような、有機的年周期をどうしても考えることが出来ないのである。しかしながら、生命体の形態とその生理作用のすべては、常に適応と保存、すなわち自己変化と自己維持との二要素の結果として現われる。すなわち生命体は、周期的な外的事情に対する反応と、この外界の周期から自己周期を再び造り出そうとする作用との間で、中間の道を常に求め続けているのである。上に挙げた特殊な事例[晩春の肉体的興奮と精神的弛緩、およびその異常]もまたそうである。こうして一度獲得された年周期は、それが明らかに現れると、または暗々裏に現れるとを問わず、その間に変化する毎年の外的周期に対する、固有の周期として常に成立するのである。しかし、そうだとすると、生命体の情緒と生理方面でも、あるいは同じことだが、精神と身体方面でも、そうした作用や活動の証拠を示すものだろうか。

    我々はすでに、気候変動および気候適応の際に、多くの人々の性質は「一定の気候状態」に対して、その他の状態におけるよりも、多く適合する運命を持っていると述べた。ここから我々は、暑熱人、寒冷人、平均人、および対照人として区別した。初めの二者は、多くは気候的現象の質的特性に関係している。しかし後の二者は、その固有の意味において、気候の周期的経過に関連するものである。   [p291]   また初めの二者も、暑熱と寒冷とが、それぞれの中だけに限って見た場合、他の類型との関係で比較的・相対的な考えに過ぎず、そうした意味では周期的であるとも言える。こうして気温は、寒冷に対する暑熱として、あるいは、その反対として感じられている。

    思考および経験からすると、気候は、人々の個人的な要求の傾向、それが求める気候の状態というのを、常に変えて行くというものではない、というのが分かる。たとえば、内陸気候に生まれた誰もが対照人でもなく、また、海浜気候に生まれた人々もまた、だれもがみな、平均人ではないのである。大多数の人々にとって、このような事情が存在し得るのかどうかというのは、我々の知らないところなのである。

    多数の人々は、その生涯の晩年において始めて、彼の性質に合った気候、普通「気が合う」といった気候を見出すことが多い。こうした気候において彼は、心理的健康と精神的活動能力とを最も強く発展させることが出来る。また反対に人は、彼が生まれ育った住地の気候を、年周期的に考察して、一種不断の衝突の下に生活しているように感じることがある。たとえば、平均人が内陸気候中に、対照人が海浜気候中に暮らさなければならない場合、言い換えると、彼が住地たる故郷の気候に耐えて暮らさなければならない場合がこれである。

    こうした事情から、先祖代々からその故郷の気候に適合した、そうした系統の最後の一人が気候の変換[移住]をするときは、前の先祖の年周期を固有周期として維持することが考えられる。   [p292]   またその子孫も新しい外界の環境の変化に反対して、速やかに自己の固有周期を現わす。しかしまた、こうした現象は別のところでも現れることがある。我々はある一点における有機的[身体的・生理的]変異といったものが、しばしば、それよりはなはだしく隔たった他の一点に影響するのを知っている。
    [
    これは直接的にも間接的にも、また、全然関係のないところ、何の因果関係も見い出せないところにも、よく現れることがる。言い換えると、偶然が連鎖するところ、そして連鎖そのものが何か全く別の異質な意味を表現して行く場合である。神経や生理の相合間の錯覚が大きく関与している。例えば、本来同じものが全く別のものに、あるいは反対に、本来別々のものが全く同じものに感じられ意識もされてくる、といったことが起こる。しかしこれは反面、望ましいことでもある。そうやって私たち人間は、意識や思考の範囲といったものを拡大してきたのである。あるいはまた、身体の慣れや順応性、さらにはそうやって環境に適応してきたのである。つまり、こうしたことのすべては、偶然がもたらしたものなのである。しかしまたこの偶然そのものは、客観的に見ると、それが惹き起こされる環境といったものが客観的な条件として、必然的な前提条件ともなっているのである。
    ]

    こうして、すべての有機的[生理的・情緒的]生活は、あらかじめ宇宙によって定められた日とか年のような単位によって、リズム的[循環的]に整えられたものであるがゆえに、純粋な身体的変異は――これは任意かつ意図的にも行えることでもあるのだが――、   それに相当する変異を中枢神経系統中に起こし得るのであって、こうした変異の心理的表現が、その気候的影響によってもたらされたものであることを知る。

    例えば、両親の結婚ないし病気によってもたらされた血液組成の変化は、神経系統に影響して、その子孫が気候的要求に対して、祖先とは全く相反する対照性を強く現わすことがある。彼の家族とその祖先が、その故郷に順応して誰もが平均性を現わすにも拘わらず、その子は、その健康と活動能力を保つために、著しい気候変動を要求するようになるのである。このように人々の気候的、すなわち年周期的気候特性は、変異によって2次的に起こることがある。しかし変異そのものは、気候とは何ら関係がない。   [293]

    実際、我々が見過ごしてはならないことは、以上の関係が、最初の瞥見において現れたように、一般に、気候的の外部周期に敵対する固有周期のためではなく、しばしばただその個人的特性に基づくという事実である。そしてこの差別は、以下のように理解することが出来る。

    「対照性」そのものは、周期のない天候の激しい変動を必要とするだけであって、それだけで十分に満足し得るものがある。あるいはまた、一年の循環を必要としない、気候の激しい規則的動揺だけで十分なものがある。そしてこれらは全く年周期的なものでないために、必ずしも気候的年周期と衝突することがない。ある場合には、暑熱と寒冷あるいは大気の静止と動揺などの不規則な変化が身体の要求を満足させることもあり、また他の事例では、10か月にわたる暑熱と、同じ長さの寒冷とが繰り返さる変化というのが、満足を与えるという事も往々にしてあるのである。我々が少し注意すると、このような性質の人がはなはな稀でないことを発見する。しかしながら気候に対する不満というのは、一般には、気候の年間周期循環に求めることが多く、こうした事実から、彼らの個人的特性というのは、しばしばフタをされ見過ごされてしまう。なぜなら我々は、こうした場合、気候の年周期循環以外の影響を考えるという事がなく、ただこの循環する気候のシステムに従って、我々の全生活が営まれると共に、また導いても行く者だからである。    [p294]

    このような便宜的な要請に基づく人為的標識は、人をして容易に気候的影響というのを誤解させる。客観的な気候周期と、心理的固有周期との衝突はよくあることである。特に文化人[都会人]は、根本的に、便宜[・人為]的周期、あるいはむしろ「社会的」周期、サイクルとでもいったものが、毎日の職業と社交とを基に成り立っているがゆえに、当事者固有の自然な周期との衝突が著しいのである。但し、ここでいう自然な周期とは、本来言うところの固有週期と気候週期とが明瞭に区別できないような、そういう意味での自然周期である。錯綜し入り混じり、そしてそうしたことが全体として一つの総体を成している、そうした意味での自然周期である。

    ある季節、例えば初春において、固有周期的に心理の低点に達する人、ないし、同じく低点に導かれる人が、その季節に職業あるいは社交的に最大の活躍を求められるときは、その義務と能力との間に大きな背馳を強く感じてしまう。しかも本人は、その理由をしばしば誤って解釈する。このような場合文化人は、彼の自然な生活事情よりも、彼の社会的な生活事情を極めて自己と一致するサイクル[周期]として感じる傾向がある。都会生活においては、人間は自然な生活事情からすこぶる離れてしまうのは明らかである。彼らは、その職業とその社交に自己を認めているのである。それが彼のステータスであり、自意識となっているのである。こうして彼の固有周期と、あるいは、その他の気候的影響によって生じた害を、   [p295]   自分以外の対立した所から、もたらされたものと考えるのである。[そのようにしか考えられないし、そのように考えなければならないし、またそれ以外の考え方というのを知らないのである] こうした事情から、固有周期と気候週期と背馳しているように思えてくるのである。誤解するのである。

固有周期の積極的または消極的な頂点が病的な強さにまでたっするとき、特にこうした背馳の確執が起こるのは自然な結果である。病的周期は、それが年周期的に起こる範囲では、それが気候的要素に基づくものなのか、あるいは前に説明した(本節、三)固有周期に基づいたもので、気候状態は従属的なもの、または、気候周期は明白に区別して感じられるものなのかは、今日の知識の状態からは、十分に決定することが出来ない。恐らく、その両者が共に影響するのだろう。理論的蓋然的思考の結果によれば、病的年周期変動においては、固有周期の表出が認められる。これは身体的[情緒・生理的]変異の相関的結果として現れたものであって、気候的年周期によっては、ただわずかに規定されるだけである。こうして多くの場合、風景的印象が気候的影響よりもなお、多くの作用を生じ得るのである。

    [  ここでいう風景的印象とは、個人的な、内的で固有の情緒的・生理的変化を指している。  ]
   [  固有周期と年周期が影響し合うというのは、それらが共鳴しあい、アンサンブルとなって、新たな周期リズムを造りだしているのであって、これはまた同時に、固有周期や年周期そのものが、そのものの中で、様々な異質な要素の相互作用のアンサンブルの結果として、新たなリズムが表出されているのである。そうだとすると固有周期と年周期のアンサンブルの結果として、それまでの、そのどちらにもなかった新たなリズムと週期が現れてきて当然ではないだろうか。  ]

    <  周期問題における興味ある付加現象は、動物の冬眠である。多くの温血動物は、一年の限られたある期間、すべての生理的活動と心的活動が著しく大きな沈滞に陥って、   [p296]   ほとんど死物と区別し難いことがある。しかしながら、彼らは極めて短期間の内に覚醒して、例えば地ネズミは2~3時間で完全な活発の状態に戻る。しかしこの現象を冬眠というのは誤りである。確かに動物の一部は、冬にこうした謎のような状態に陥るけれども、これ以外に、盛夏において、あるいは初秋において、あるいは冬以外の春または夏において、特に豊富な飼養の後に、短時間こうした常態に陥ることが知られている。
    この場合、心身状態は単に固有周期に従うものなのか、あるいは外界の周期、特に気候的要素に従ったものなのかというのは、なお全く研究されていないところである。また、冬眠は全く連続的なものなのか、あるいはその深度を減じ、または覚醒によって中断されるものなのかは、いまだ確かめられていない。恐らく、これらすべての「周期的昏睡状態」は、気候の影響の下に発生したものであって、その後にこれが固有周期に変形したようである。しかしまた、これと全く反対に発達することもあり得ることである。
    冷血動物では、冬眠は外界温度の沈降と直接かつ継続的に関係する。そして昏睡の起こる前には、しばしば激しい興奮状態を現わすことがある。  >


      第3節  「天文心理的」現象


    日と年の周期は、地球と太陽との関係に基づくものである。この関係は、天候形態の毎日および毎年の系列に対して、極めて重要なものであるが、それと同じく、   [p297]   地球と太陽以外にも気候決定の要因がないとも言えない。それは地球・太陽以外の他の星からも起こり得る要素である。

    これらの星の中で第一に挙げるべきは、もちろん月である。月は地球と太陽の間に侵入してきて、これらと「三角的」天体関係を作り出す。こうして月は、地球表面の液体部分の運動に対して、干潮および満潮に対して決定的意味を持っている。なお、月が周期的に我々に対して、光の量を変化させて送っているということも、付け加えておかなければならない。また、月が地球の電気の状態に影響することは、近年有名な学者が研究したところである。こうして月に天候決定の力があるという、通俗的信仰は、いまだ沈黙させられることがない。 また、彗星についても、最近再び電磁気的影響が理論的に期待されるに至っている。また、魔術的占星術の主要な興味を作り出しいるて惑星の位置は、重力的作用以外のいかなる範囲まで人間に影響し得るのか、すなわち気候を変化させ得るのかということについては、今日まで何ら証拠となるべきものがない。

    我々は地球上の人間の心身生活において、日および年周期という、これら地球と太陽の関係とは別の、そこから抜け出たところの周期現象に遭遇することが常にある。こうした場合、これが前に太陽気候によって規定された周期が、固有周期となって残存したものなのか、   [p298]   あるいはこうした状態は、星の影響を示すものなのかという問題の提出は、許容されるべきである。こうした影響は、人が1世紀前に想像したときよりも、今日多く考えられるようになっている。けだし最新の宇宙物理学は、月および星の地上の現象に対する影響について、予期せざりしかの太陽と同一の名誉を与えたからである。

    こうした影響といったものが、心身にまで広げられるものなのか、また広げられるとすれば、どの範囲にまで進むのかは、「天文心理的」現象という総括的流行語によって、簡単に説明出来る。もしも「天文心理的作用」というのが存在するとするならば、それはもちろん根底において「風土心理的」である。なぜなら、いかなる星も、地球の大気と大地を媒介しない限り、地上の有機体[身体]に影響することがないからである。こうしてその主な部分は、太陽によって定めらた天候、あるいは気候の大気的あるいは大地的要素と共同して影響する以外にないのである。

    1  月夜狂(睡遊[夢遊病])   通俗の信仰に入りやすい睡遊的睡眠状態と、月との関係は前にすでに説明した。我々はそのとき一つの問題を残しておいた。すなわち、睡遊の周期は、月光の量――これは月の位相の函数であるのみならず、また雲の状態にも関係するが――とは関係なく、月の周期と規則的な関係を現わすものなのか、という疑問である。言い換えると、全く月光を遮断した睡眠者の室内において、なお一定の月位相の時期には、睡遊の発作が多く、かつそれが強いのかどうかという問題である。

    この場合、全く媒介物[?]が存在しない。こうしてアルレニウスが癲癇的発作の分布に対する、月の位相の影響を確定したと思われた以後、この問題の組織的研究は、特に価値のあるものである。しかしながらこの発見の価値は、全く別の問題である。なぜなら、我々は曲線の調和分析ような錯雑する数学的な迂路によって得られた、この計算の結果を、ただちに信用しなければならない必要がないからである。

[癲癇:発作的に痙攣(けいれん)を起こす病気。意識を失って倒れ、手足をもがいて口から泡を吹く。]

    睡遊と癲癇は同類である。しかしながら、もしわれわれが睡眠におけるすべての活発な精神運動的興奮徴候、大笑い、歔欷、寝言、跳ね起き、叫喚、跪坐などを「癲癇的」な特性と考えるのは、少し行き過ぎた解釈である。また、個々の原因、熱、アルコール摂取、心理的興奮などに結合した睡遊は、この外の全く癲癇的素質を現わさない人々においても、まさに起こるものなのである。しかし睡遊は、その規則的な復帰、その緩やかな拡大、   [p300]   およびその複雑な動作を考えれば、癲癇的状態の直接の近隣に属すること疑いない。そしてその主な徴候は、その周期性にある。すなわち、上に述べたような種類の睡遊的発作が周期的に繰り返されるというのは、医学的観察者にとっては確かなことである。アルレニウスに従えば、癲癇のけいれん発作は、大部分は月の動きに伴うものである。そしてそれを媒介する気候要素は、月によって定められた大気中の電気の周期的変遷である。これと同じことは、癲癇的体質の他の周期的現象、すなわち「癲癇当量」にも、または睡遊においても容易に可能にして、これは実に確からしきことである。従って、我々はこれを精査せざるを得ない。

    <
    シュレジェンのある加持力教[?]の僧侶は、雷雨が、上昇する月によって支配されるという俗説に従って、驚嘆すべき方法で以下のような関係を発見した。雷雨の頻度は、月の増大に従って増大すると。アルレニウスとエクホルムは、すべての空中電気現象、特に雷雨と極光について27.32日、および25.929日の周期を確定した。癲癇発作の主な周期は、27.32日である。そして25.929日の周期はきわめてわずかに現れる。一般に癲癇発作が最も起こるのは、空中電気の極大の1日後である。
    スカンディナヴィアにおけるこの種の研究は、数学的修正に偏するがゆえに、   [p301]   経験的結果を軽視する傾向がある。アルレニウスの発見についても、また複雑な数学的計算を含まない証明は、極めて望ましいものになる。
    >


      2  月と性欲    男性の性欲が周期的に昇降することは、我々の日常の経験から明らかである。男性の性欲は、それを満足させる機会によって著しい影響を受けるというのも、また明らかである。あるいはこのような機会がなくて、ただ手淫によって性欲の満足を得る外ない場合に、手淫と手淫との間の間隔について性欲の波動が明瞭に現れるかどうかは、いまだ確定されてはいない。特に文明国においては性欲を挑発する刺激が極めて多く、こういう事情から自然周期というのを確定するのは非常に困難である。男性の性欲と自然周期的要素との関係については、前に説明した年周変動以外に付け加えるものがない [それはむしろ社会的習慣に多く依存していて、またそこからストレスがたまり性欲へとつながっている] 。 

    しかるに女子の生殖衝動は、すでに俗説において、自然界における播種、発芽および発育などと同じく、特に月の変遷と密接な関係があるとされている。暦法改正によって消失した、自然な1月という区分は、実に女子の月経の周期としての「月」である。これによって月と性欲との関係は、ただ間接的なものとなった。女子の心理的性欲生活は、月経によって最も強く規定される。その性欲的興奮は、普通、   [p302]   月経の継続の終わった後に頂点に達し、月経の最初の日の直前およびその当日が最も少ない。また月経中においても、しばしばなお一つの頂点を見出すことがある。アルレニウスの説によれば、月経も空中電気の影響を受け、月の周期に従うものだと言う、このように月と性欲要求の間に確かに間接的な関係があるというのは、全く疑いのない所である。月経は妊娠と哺乳の間はこれがなく、またその他の場合にも偶然に変異することが多い。

    このような場合に性欲興奮(またはその反対)の頂点は、生理の月経と結合して、月経と共に消失し、月経と共に復帰する。またそれは、月経と共に月の位相に従って進むものなのか、あるいはこれに反して、排卵および子宮出血とは無関係に、月および空中電気の周期に従うものなのかを決定するのは興味のあることである。しかしあえて仮説的に肯定したものを、無条件で直接関係があるものと定めてはならない。

    心理的性欲周期は、その主要な決定事情たる月経が停止した場合には、その心理や情緒の傾向だけで左右される固有周期となり得る。そのとき性欲の周期は、単に日常の心理的周期に平行して起こる。この際に考えなければならないのは、   [p303]   月経が中止したとき、それと連動していた2次的な月経現象の全系列が、なおもしばらく持続するということである。しかしそれ自体は、明らかに固有周期的なものであって、月経とは無関係に現れ出てくることがある、そうしたものである。しかしながら、すべてこうした出来事は極めて複雑である。こうして人は、最後になって始めて、これらのことに再び適当な注意を払うことになるのである。

    もっとも多く議論され、もっとも興味のある現象は、月の位相によって性欲的衝動の動機が定まるということである。これは人類では見られないとしても、深海動物の一種たる南洋のバロロ虫、すなわちユーニース・ヴィリディスは、こうした現象を呈する。この虫は、サンゴ礁中の巣窟内で生活する。その繁殖法は、まずその身体の最後の一節が短い独立の生物となって分離し、海面に群集し、そののち胚種質を射出する。この胚珠質は、水中で相混合して受胚作用を起こし、新しい個体を発生させる。そしてこ脱逸した身体の一部分が、ポリネシア人が「バロ」と名付けるもので、彼らの食糧になって昔から漁獲されたものである。「バロ」は毎年ただ2回、10月と11月に発見され、また2回とも月が下弦に達する前の日においてのみ見い出される。またそれは驚くほど正確に定められている。この場合、   [p304]   1匹として集群から先んじたり遅れてくるものがない。彼らは常に驚くほど正確に、下弦の天文学的時刻の前日に大きな群れを完成する。また、この現象は、特に天候状態、特に雲天などとは全く関係なく起こる。

    [
    大西洋に住む同類の虫、ユーニース・フルカタは主な点で同じような生殖特性を示す。ただ異なるのは、この虫の集合時期が6月の末あるいは7月の初めに起こるということである。しかしこの場合、前のようには正確ではないにしても、しかしそれでも月の下弦との関係は明らかである。この場合、注意しなければならないのは、もし下弦が7月に極めて遅く起こる場合は、その代わりに上弦の月が集群を起こすということである。ポリネシアのバロロの「対月時間正確性」に関して、下の数字は一つの概念を与える。これは、フォン・ビューローおよびベネディクト・フリードレンダーが各自単独に報告したもので、この現象の最初の正確な記録である。

    ビューローの報告
  天文学的下弦時刻        バロロの集計日
  10月21日 7時29分      (10月21日)
  10月11日 3時 7分      (10月10日)
  11月 9日 1時40分

    フリードレンダーの報告、以下同じ
  10月29日 3時50分       (10月28日)
  10月18日 9時42分       (10月17日)
  11月17日 2時35分       (11月16日)

     [p305]   このバロロ現象はどう解釈すべきなのだろうか。我々はまず二個の問題を区別しなければ、この問題に近づくことは不可能である。第一は、バロロの集群の際の際には、心的過程[?]が原因として共に活動するものなのか、第二は、月に対する時間の正確性が何に基づいてなされるのか、という問題である。

    第一の問題[心的過程]は、この動物の動物界における地位が極めて低いために、これを解決するのは頗る困難である。特にダーウィンによって初めて報告され、その後観察と研究によって常に新しく論証されたこの虫の能力は、この虫の生活傾向に対する心理活動を決定する形式を示している。しかしながら、これを必ずしも性欲的範囲にまで拡大する必要はない。我々は、生殖活動が常に親となるべき二個の、性を異にする同種の個体の交接の事実に基づく場合、心理的興奮の共同作用は、不可欠のものと想像する。なぜなら、交接に必要な接近を起こす心理的原因は、興奮以外に決してないからである。

    しかしまた、魚類の場合のように、その生殖が単に胚種素の両部分、あるいは一部分を中性の媒質   [p306]   すなわち水中に射精する場合は、卵と精虫は異性の個体同士の接触によらずして水中で受精するので、こうした経過には心理的要素といったものは全く必要としないのである。ここでの射出は純粋な反射運動として説明できるのである。これはあたかも、継続的な肉体的刺激によって、人類の精虫が純粋に反射的に射出されるのと同じである。

    この問題については人類の例も、その解決に著しい困難を感じる。例えば、人間における睡眠中の自然射精について考えると、観察者が今日に至るもなお一致することない点は、この場合、夢の中で進行しつつある肉惑的興奮が、単に偶発的なものなのか、あるいはその原因としての目的や意識に基づくものなのか、という点である。ユーニースは、心的性欲的興奮からそのバロロを分離したとともいえる。あるいはまた、何かしらの肉体的・性欲的に規定された、純粋の生理的緊張が存在していて、これがある肉体的解放要素の作用によって、分離[射出]を促したともいえる。

    この両者[偶然か意図的なのか]の場合、月の下弦がその際にどういう影響を及ぼすのかという問題が起こる。しかし、われわれにとってはこうした問題は、肉体的な場合よりも心的な場合に方に、大いに興味を抱かせる。もとよりこうした事例は、他の一般的な生物学的現象と月の循環との関係全体についての一部分であるがゆえに、   [p307]   考えなければならない問題なのである。そうした意味でなお十分な興味を惹くものなのである。

    この問題については三つの答えが用意された。第一は機械的説明で、ただ集群の純粋な生理的要請に基づくものである。月の位相は、干潮と満潮に影響を与える。潮によって起こされた海水の機会的動揺が、ある程度達して猛烈になるときだけに、ユーニースの体にゆるく付着していたバロロが分離すると説明する。しかし、これについてはなお、考えることが多い。この岸を打つ力は単に潮汐の状態のみによるのではなく、風が起こすような海水の運動の方向にも関係する。また、ユーニースの生息する岩礁の位置、また、岩礁内部で滞留する個々の虫の状態などによっても様々に変化する。すべてこうしたことは、対月時間の正確性を非常に著しく現わすものである。[これはよく考える必要がある。不確定要素自体が秩序の必然性を生み出している。]

    しかし、バロロが分離し海中に押し出されて、貯水池中に放たれ、ユーニースの生息する岩礁の破片から、対月時間を正確に守って群れ出ることは、機械的説明と全く一致するのかどうか。この機械的説明は主に大西洋バロロの記事について論争されたものである。   [p308]   この場合、時間が極めて不正確であるという事、それに上弦においてもなお、群れ集まることなどによって、機械的説明は適当なように思える。しかしながら、ポリネシア・バロロについては、この説明は不十分である。

    アルレニウスはこれを電気によって説明しようとした。もし空中電気が月の位相によって増減し、また、それが人類の月経の生起と確実に関係しているとすると、それがバロロの分離を起こす理由ともなり得る。だとすると対月時間の正確性は、決して驚く事ではない。我々はこの現象を、月経の場合と同じく純粋に生理的に考えることが出来る。または同じく、これを心的興奮を伴うものと考えることもできる。またはその終局の原因を、心的興奮に求める事も考えられる。すなわち空中の帯電が一定の強度に達した場合に、ユーニースの性欲を著しく呼び起こし、バロロを分離させるものと解釈できる。しかしこの分離が実際この虫の心的興奮によって作用しているのかどうかというのは、未だ確かめられてはいない。またこの解釈には多くの反論が見られるところである。

    最後に挙げるフリードレンダーの回答は虚無的である。   [p309]   彼はこの現象を絶対的な謎のようなものとして説明する。こうしてジュネーヴの動物学会でのバロロ報告者の態度は根本的に不用意のものとなっている。。なぜならこの学者は、この虫の性的発達における固有周期的要素[条件]をも強く力説したからである。これについて我々は、以下のように述べなければならない。我々は、ユーニースが10月と11月におけるバロロ準備の時期に至るまで、固有周期的に発達したものと考えることが出来る。しかし、バロロ分離が月の周期と正確に一致して起こることは、なおこれらの過程の生起が一つの外部からもたらされた、月の位相に関係した要素[条件]によることを仮定させる。もし厳密に固有周期に従うものとするならば、ある年のバロロ集群からその次の年の集群に至るまで、常に精密に同時間を経過するはずである [そうとは限らない。反対のケースも十分に考えられる] 。 しかし実際には、これらの間隔は、月の周期によって変異しているのである。

    このバロロ問題は、いまだ論争の渦中にある。そのわれわれに対する意義は、以下のように説明できる。この場合、有機体[身体]に周期的事象の存在すること、そしてその出現は天文学的な月の位置によって決定されるという事は確実である。そして、これらの事象における月によって決定される要素[条件]が、心意的性質のものであることは、可能である。   [p310]

    <
    我々は気のおもむくまま、バロロ問題に対する以上の解釈を憶測的なものと考え、その見解に対して抗議を提出することが出来る。しかしながら、全体の現象中に異常なところが見い出されるがどうかを、明らかにしないわけにはいかない。ジュネーヴの学界の報告者は、このバロロ集群の無類なことを破るには、一般の植物の開花時期が正確であること、そしてこの性欲的固有周期を提出しない訳にはいかないと思っているようである。
  しかし実際には、こうした現象は他に類がないのである。最も厳密な固有周期は、対月時間の正確性を決して持つことはない。なぜなら、その事象[サイクル]が、ただ正確に同数の時の単位(日および時間など)より成立するときにのみ、厳密に周期[サイクル]と言い得るのであって、この現象の下弦の時期は、決して一年の周期と正確に一致するものではないからである。
    生物周期学が教える所によれば。温度、湿気などは、生物の成長時期に対して、断片的ではあるが大いに影響を及ぼすものである。しかしながら、星の運動のような天文学的事実に関係するものは、全くないという。このような地球上の生命に対する月の影響を、俗間の迷信に過ぎないとして捨てるような見解では、このバロロ現象は全く説明できない。
    アルレニウスおよびエクホルムが、空中電気に対する月の循環作用を確定してから、天文的影響は、我々が理解できる一般の範囲内に入ってきたのである。こうして、従来の気象学できわめて激しく論争され、また、ファルプとその学徒によって月の引力作用によると誤認された、かの大気にたいする、従ってまた、天候および気候ににたいする、   [p311]   月の影響の議論は、全く新生面を開いたのである。
    これと同じ理由から我々は、フリードレンダーに賛成することはできない。バロロ現象は彼の説くように「絶対の謎」のものではない。この現象はアルレニウスの方法に従って、少なくとも今日では仮説的に理解し得るものである。しかしまた、こうした見解が実際、正当な説明を導くものなのか、あるいはなお研究を進めて他の説明を見い出し得るものなのかは、今の時点では全く言及することが出来ない。
    しかし、たとえ仮説的に理解できるものだとしても、この現象は、今日なお全く無類のものである。従って、なおこの他に同じような種類の現象があるのかどうかというのを、研究して確定する必要がある。この種の現象があり得るように思えるけれども、しかしまた、今日まで全く知られていないのである。
    >


      3  月と週    年と日との間にある、月と週からなる中間の計算単位は、その根源を尋ねると月(太陰)によって定められた単位である。つまり、月の回転が一カ月にして、その四分の一が一周として定められる。暦法改正の結果、これらは本来の性質を失って、自然の出来事と全く関係のない、純粋の便宜的・数学的期間に変化するに至った。

    こうして、月と週に従って規定されるべき心意[情緒]的生活の周期的動揺は、自然環境の影響以外の要素にその原因を見い出さなければならないようになった。精神的元気が、ある月の終わりに沈滞し、次の月の初めに再び激しく高進する場合には、我々はその原因を、栄養の量および質と休息の度合いに、その原因を求めることが出来ると考える。   [p312]   実に限られた経済的家政関係においては、毎月の月俸は最も重大な決定的意義を得ることとなる。

    この場合の心意[情緒・生理]的周期は、生理的生活の標準周期の表出となる。また、工場労働者における、こうした周期の研究は比較的正確にされている。この結果によれば、心身的作業能力の極小は日曜に現れる。その反証となるのは、久しく以前から知られている、月曜において災難がもっとも多いことがこれである。こうして作業曲線の頂点は二つあって、多くは水曜と金曜に現れる。

    明らかにこの場合には、練習、鼓舞、意志の緊張、疲労のような作業要素[条件]の各々の個別的周期の総体としての、固有周期の動揺に関係がある。また、6日の作業と1日の休息との関係により、あるいは一部分は、これらの休息における享楽の種類によって決定される。かくして便宜的・「社会的」な時間区分によって定められた周期を得るに至る。

    もしも我々が、周期的事実の永久に増大する内容を、適当な時期に明瞭に分類する必要に迫られて、これら事実の原因を一般的に思考する場合には、この現象に関する気候的および天文的な影響の共同作用は、一般に全く問題になり得ないのである。このように研究範囲を「掃除」することは、この領域における将来の研究に対して、確かにに重要なものとなる。


      4  数日および数年の周期    われわれは前に、躁うつ病の周期の説明の際に、その循環の周期が年とも一致せず、またその他の自然的あるいは便宜的な時間単位とも一致しないという事を述べた。その周期が一年よりも小さくなる場合にも、また大なる場合にも、   [p313]   その長さの測定は、通例一般の便宜的単位を用いる。実際の使用にあたっては、ただだいたいの報告をするだけなので、一つの位相が継続する期間をそれぞれ数か月、数週、数日と言っている。正確に検査すると、この計算は、決して月や週の倍数として正しく現わし得ないのみならず、またしばしば「日」の単位でも割り切れないことが多い。

    鬱憂的気分中に、軽躁てき気分が最も多く変換するのは、夜中に起こるのが常である。しかしそれは、唯一の時間ではない。例えば16日の鬱憂状態ののちに、夜の反対の真昼中において、にわかにこうした変化が起こることがある。この場合、どのような法則によって支配されているのかは、いまだ全く知られていない。これは、一般に固有周期が関係するものではない[??]。また、個々の位相の期間もまったく異なるものであって、全く不規則な長さを有するものである。
[しかしそうした様々雑多な異質で個別の自律した周期の総体、アンサンブルとでもいったものが、全体として見ると、それが一つの自律したリズムをもつ周期として、外の世界に現れてくる。あるいは少なくとも外から見ると、そのように見えるのである。]
 
    常に正確なのかどうかというのは、疑わしいのであるが、だいたい1年の倍数を包含する周期において、気象学上、様々な形式が企てられる。太陽黒点の周期に起因する11年周期、または、気候変動の35年周期のようなものがこれである。人類の心意[情緒と心理]生活のこれに相当する期間といったものを、ほとんど異論なく決定するという事が、いかに困難であるかは、気候変動の説明の際にすでに述べたところである。   [p314]

    俗説としては、「7年目」が多様な注目を帯びる。例えば、多くの地方において、子なき両親にとって7年目、あるいは8年目がしばしば予想しなかった妊娠を起こす「年」と思われている。そしてこれと関連して、様々な数的迷信が惹起することが多い。またわれわれは、迷信の大多数が極めて粗雑ながらも、数回の経験に基づくものであることを見過ごしてはならない。

    既に研究の歩が進むに従って、多数の長く軽蔑されてきた俗信仰を、少なくともその神髄において再び尊敬すべきものとしたのは、我々の観察の際に反復して指示したこの種の例によって明らかである。7年の周期も、メービウスがゲーテの7年の心理的[情緒的]周期に関する、極めて価値のある推測をして以来、改めて、我々の熟慮すべきものとなったのである。

    <
    ゲーテ(1749-1832)の場合、恋愛的および詩的興奮の周期的勃発があるように見える。また、その興奮には、しばしば短い憂欝状態の先立つことがある。この興奮状態は、1年半〜2年継続する。その後に平均7年(6〜8年)の休息がある。その間は公務および化学研究の他、芸術の原理に関係し、または、芸術家的な非生産活動に費やされ、恋愛の機会は他の時期に比べて少なからざるにも関わらず、注目に値するものがない。すべての真の大創作およびすべての恋愛の物語は、周期的興奮の時期に起こる。    [p315]   その興奮の衰退は、しばしば急激に起こり、多くの場合に憂欝状態に著しく陥没して、創作も、恋愛も、突然に中止するようである。
    メービウスは、二つの模範的なこの種の例を挙げている。一つは、1822ー23年のマリエンバートおよびカールスバートにおける興奮であって、他はフランクフルトおよびハイデルベルヒにおける1814ー15年にわたる興奮(ウェストリッヘル・ディヴァンの創作、およびマリアネ・ウィルレマーとの恋愛)である。1823年からさらに進むと、1830ー31年に達する。この時期は「ファウスト」および「マイスター」が終結した、極めて健康なとしで、「このように好んで創作したのは、30年来ないことである」。これはリリ・シェーネマン(ソレットに「私が真に愛した唯一の女」と言った昔の恋人)の豊富な注意すべき記念である。
    1814年から逆行すると、7年で1807−8年の興奮期に達する。この時期には結婚その他の事件がある。さらに7年を遡って1800−1年の時期がある。ファウスト第一巻の最も美しい部分の著がある。「耐えられない創作心」、「稀なる神経衰弱」の時期である。その次の1794年の時期は、著しい恋愛事件はないが、「ヘルマンとドローティア」の著と、シルレルとの親交がある。
    メービウスはこの時期を「消極的」見ている。これに反して、1787ー88年は、ローマにおける興奮気であって、帰国してクリスチャーネ・ウルビウスという恋人を得ている。1781年は、ハッキリしないけれども、1773年はウェルテルの年にして、実に一生を通して拡大された青春的興奮の頂点となり、一般に恋愛的にも創作的にも最強の度に達した。1767年はライプツィッヒにて過ごしている。   [p316]
    われわれはゲーテの一生中に著しい憂鬱状態を1823年、1815年、1786年および1789年、1780年(死を考えることが多い)、1768年に起こるのを見る。メービウスに従えば、この事情は、はなはだ明白であって、「多少実際知識を持つ」人に対しては、「なにものも付加すべきものがない」。
   後の半生においては、こうした事情はきわめて明白である。われわれは彼の恋愛と創作がほとんど四つの時期(1807年、1815年、1823年、1830年)に起こっていると言い得る。この中間の時期においては、われわれは、ただ全く瞬間的に燃え上がる興奮を発見する(例えば、1828年ドルンブルヒにおいて、多分1830年の興奮の前提とも見られるものが現れている。彼曰く「夜は至高なり」)。
    これに反して、彼の前半生は、特に特徴ある時期をとらえるために、時期を適当に構成する必要がある。1767年から1775年までの間は、ライプツィッヒとウァイマーに住んでいたが、恋愛的および詩的な興奮と憂欝(ライプツィッヒを去って、シュトラスブルヒに至ってもなお止むことのない「神経衰弱」、「ウェルテル」、恋人リリとの別離など)とが混合して出現する、固有の状態の連続を示す。1775年から1786年までは、あまり変わったことはない。しかし、1780年に、特殊な頂点が存在したかどうかは頗る疑問である。
    次に1787年の興奮、およびその憂鬱の初めと終わりとは、容易に環境の事情から説明できる。こうして我々は事実を曲げることなくして、多分以下のような形式を付すことが出来る。
    すなわち「ゲーテは明瞭な躁鬱的性質を現わす。彼の生命の初めの半生においては、   [p317]   興奮と憂鬱との混合、あるいはもっと正確に言えば、この二者がきわめて短い間隔で移り替わる。しかし後半生においては、前半生ではただ混合して現れた興奮が、固有の7年周期で現れる」
    >

    こうして今日、心意[情緒]的生活の明瞭な周期、特にゲーテの場合と同じような間隔を持つ周期といったものが、他の精神的創造を行う人々にも、自然に、制駆を加えることなく起こるのかどうかを検査するのは、重要な研究課題である。この時、また、天文的および気候的現象の数年に渡る、大周期に関する知識が、その次に拡張されることを願って止まない。

    惑星の位置、彗星の運動、太陽の黒点などは、大周期の地球気候の決定、そして、これによって起こる地球上の有機体[生物]の事象に影響する各種の可能性を思わされる。このような決定要素[条件]として、電気的、電磁気的、および光線的な現象が、今日においてまず最初に表示されるべきものである。

    しかし、こうしたことのすべてに関する知識は、我々がなお未だ有しないものなのである。また、ゲーテの場合におけるような、周期の原因についても全く知る所がないのである。このような場合に、いかなる範囲にまで厳密な固有周期が優勢となるか、また、いかなる範囲まで外部の周期が影響するのか、   [p318]   という問題についても、全く想像するに足る材料がないのである。

    しかしながらメービウスの研究によって、この問題は常にただ、これら二つの要素[気候と社会]の要素だけを問題にすることとなった。社会的――職業的・社交的その他――事象変換による周期は、確かめ、特定することが出来るものであるために、省略して考えることができるものである。これがすなわち、科学的「掃除過程」である。このような問題においては、この点に最も勢力を注ぐ必要がある。もしも私たちが社会的環境の影響を、最も純粋なものとして予め分別出来るときは、私たちは、今日なお不明である自然環境の影響を、私たちの見地から推論することが出来るようになる。


      5  フリースの周期臆説    この説を形成した思考、そしてこの説によって起こされた衝突を目の前にしながら、黙って見過ごすのは不適当である。これはベルリンの医師、ウイルヘルム・フリースが発表したものであって、全世界は一つの基本形式の周期的現象と見なし得ると述べたものである。フリースに従えば、すべての有機的[身体的]現象は、周期的である。その間に起こるすべての時期(例えば出産と死亡の間隔、個々の子孫の総合間隔、そして精神的方面においては、   [p319]   天才的奇想の生起、深い憂うつの間隔そして出産から精神危機に至る間隔など)は、常に28日および23日という二つの基本間隔の倍数、あるいはこの両者の算術的結合に過ぎない。

    28日という基本周期は、その性質上純粋に女性的な周期であって、23日という基本周期は、同じく純粋に男性的な周期である。実際の性の分化は完全でないために、多くの人々はある程度まで両性的っである。すなわち各男性身体は、多少女性的要素を含み、各女性身体は多少男性的要素を含む。このため、実際の周期は、23日あるいは28日の純粋の倍数ではなくて、この二個の周期が数々の割合で混じるものである。

    これら基本周期の宇宙的起源に関しては、フリーズは全く月の影響を排除している。こうしてこの二つの根本周期、28日と23日の周期は共に、太陽の影響の発現として説明している。彼はいたる所この両周期が、純粋に太陽に属することを証明しようと、神秘的曖昧さを持つような屈曲した迂回道も避けなかった。こうして、バロロ集群におけるような明瞭な太陰[月]的現象も、単に表面上、月に関係あるようなものも、その日付の「批判的」分析によって、太陽的なることを明らかに示し得るとした。   [p320]

    このようにフリースの研究の弱点は、経験的事実の正しい取扱いが、大胆な形式ではなはだしく覆い隠されてしまうことである。これは古くから伝説的に取り扱われてきた「数的遊び」を復活したようなものである。フリースは、身体の発達期における23日と28日の期間に対する簡単な証拠を挙げているが、それはとても興味のある植物的および動物的の二例である。しかしこの一対以外には、全く証拠がない。

    また一つの生活の内部における、単純な28日と23日の周期と相並んで現れ、最も早くその証拠となるべき28日と23日のわずかな倍数の周期は、はなはだ稀に発見される。多くの例は非常に大きな倍数であって、主にその乗冪[=累乗:同じ数を何度もカケルこと]がよく応用されている。特に二個の基本周期のきわめて複雑な結合は、[原初的なこの]二個の記号だけでなく、二個ないし四個の記号(加、減、倍、冪)で連結されることがある(例えば28自乗+p.23 のように)。

    しかしこのような奇術はまったく証明力を失うものである。なぜなら、593以上の各数は、23と28の結合によって表されることは、単なる代数学の事実であるからである。また23と28を因数とするということ、   [p321]   すなわち23日の28倍(あるいはその反対)、あるいはまた、23日の23倍および28日の28倍(あるいはそれ以上の冪)などが度々現れることなどは半ば神秘的である。しかしながら、これを憶測的な両性混合関係によって説明しようとするのは、すでに科学的熱心を失って、単に衒学になっている。この両性混合は、多くの微細な観察と共に、自分にとって差し支えのない事情だけを、大胆に適用したものであって、ウィニンゲルおよびフロイドの方法で我々がすでに知るところである。
[冪(べき):ある数または式を繰り返し何回か掛け合わせたもの。累乗。]
[一つの数や整式が、いくつかの数や整式の積の形で表されるときの、その個々の数や整式のこと。因子]

    こうして我々は以下のように総括することが出来る。すなわちフリースの書は全体として見れば、その神髄において価値ある思想が脱線したものである。28日の周期というのは、女子の生殖活動に基因したものである。その周期が月の影響によって起こることは、俗間で昔から信じられてきたところであって、また、アルレニウスの研究によっても新たに確かめられたものである。

ダーウィンは、人が良く知るように、人類がなお満潮および干潮、すなわち間接に月の運航によって彼らの生活条件が、著しく従属させられた時代の残り物として、この周期を説明している。この太陰[月]周期は、女子以外の個人においても、ときどき希薄ながらも出現することがあるのは、疑いのない事実である。   [p321]   児童および男子における「月経当量」は、周期的な鼻血あるいは痔疾[じしつ]の出血および児童の加答児[カタル]性疾患のようなものであって、特に最後のものは、新生児にあっては常に厳密にその母の月経時期と一致する。

    メービウスはゲーテが死んだ日が、出生の日から計算して28日の倍数に当たることを確かめた。しかし28日の周期の意味が、人類の生活現象の範囲まで含まれるのかどうかはぎもんである。しかしまた、この周期は動物と植物支配するものなのかどうか。あるいは、この場合にはなお、他の周期があるのだろうか。こうして、人類の生活においても、28日の周期と相並んで他の周期があるのかといった問題は、すべて疑問である。

    23日周期については、動物と植物において多少材料がある。またこれらの場合にも、28日の周期は、明らかに常に現れる。大なる太陰周期の外に、なお小なる一周期が成立することも、また、アルレニウスとエクホルムの研究から証明されている。この場合には、大周期は28日(27日および32日)と一致しない。小周期はほとんど26日である。そして問題は、ここで明らかに示される。すなわち、経験の例証は、すべての数的奇術を厳密に制止してもなお、集まるということである。   [p323]

    しかしながらわれわれは、数学的な誤謬除去と平均の応用とを、初めから断念するのを「良し」としない。なぜなら、まず初めに一度、個々の場合の偏移を研究するのは、平均して直に一般の値を出すよりも、良いことだからである。我々にとっては、この場合、この問題の心理的部分がまず初めに前景に現れる。ここにおいてわれわれは、周期的に反復し、あるいは動揺する心意[情緒]的出来事が、その期間の長さと精密に一致することを観察することが出来るからである。

    まず初めにこのような「仮定なき」方法で収集した多数の材料が、規則性を持つかどうか、もし持つとすれば、どのような周期であるかを、我々に認識させてくれる。次に我々はそれらの周期と、宇宙的規則性との間に、類似あるいは関係を明らかにすべきものがあるのかどうかを、研究することができるのである。

    心意[情緒]周期と気候周期との間の関係に関する、われわれの見解を進歩させることが出来るのは、算術でも、推理でもなく、ただ忍耐して事実を収集するということである。



        余論  人為的気候


    人為的気候は決して人類の創作ではなく、動物(特に下等なものまで)も巣作り、   [p324]   洞窟、小屋などにおいてこれを作っている。これによって気候の影響は防御されるだけでなく、また新しく自然でない気候的影響をその中に作り出している。例えば、温血動物は、その身体から発する温熱、湯気、空中の汚濁によって、新たな気候的影響を生み出している。人為的気候によって自然な気候が最も強く変化を受けるのは、都会、特に大都会においてこれを見られる。
    
彼らは、その生涯の大部分を密閉され、人為的に暖められ、あるいは涼しくされた、空気の濁り混じった、空気の動揺なき、湿りすぎ、あるいは乾き過ぎた、人為的に点火された、あるいは光線の乏しき室内「において過ごすのみならず、都会自身がまた、自由な空気中において、人為的な気候をその街路において保有している。この気候は、気温、湿度、空気の組成、塵埃、空気の運動、および土地の特性において、都会の周辺を支配する気候とは区別されるものである。

    これらの人為的気候が心理作用を現すという事は、一つの公準のようである。こうして、ある文化階級の要求として、心意[情緒]的清新のために、周期的に人為的気候を自然的気候に変わらせようとするのは、このような公準が真実であることを最もよく証明するものである。しかしまた、ここには文明の状態がなお、心理[情緒]的健康と精神的活動能力に多くの影響を及ぼすものであるために、住宅気候の影響を分離して研究するというのは、一般に困難である。

    人為的気候は、実際、人間にとって不適当なものではないだけでなく、むしろ人間にとって、よく適うものである。こうして、人為的気候が精神活動の主要な活動地となるのは、根拠のあることになっている。なぜなら、この人為的気候が、自然気候の心理的障害作用を防ぐ舞台を提供するからである。   [p325]

    技術の進歩は、気候の細工に必要な要素として、空気の流通の発達を促すに至り、広い意味における人為的気候の、自然化の作用をもたらすことになった。明るく照らされ、空気の流通よく、適当に暖められた近代の住宅は、熱せられ過ぎた、空気の流通が悪く、光線に乏しい古代の住宅に比べて、明らかに自然な気候に近いものである。

    人為的気候の個々の基本要素とその結合は、自然な気候の要素以外の作用を惹き起こすのではない。そしてその固有の問題は、以下のようなものである。密閉した人為的気候、開放された人為的気候、そして自然的気候(住宅気候、都会気候ないし自由空気の気候)中に滞在する間を、規則的に切り替えることによって、いかなる範囲にまで情緒的身体の固有周期に変化を起こし得るのか、ということである。[内的に自律した個々の日常的な情緒の周期のことなのである] しかしこの問題に関しては、今日に至るも、一つも解決されていない。

[ヒポコンデリー(心気症):神経症の一種。疲れやすく刺激に敏感で,自分の身体の健康状態について過剰な心配をする傾向があり,一般に異常体感,強迫観念,妄想などを呈する。]
    俗説によれば、ヒポコンデリーの変態心理状態は、住宅気候がもたらす(座業者、小役人などの)偏った生活習慣と因果関係を持つ。もちろん、この場合、特殊な関係が存在するのではない。貧血状態とそれに伴う固有の心的随伴現象、すなわち沈鬱、不活発、不機嫌、ヒポコンデリー傾向、すなわち変心、病気にかかるのではとの妄想などは、すべて普通の同じような情緒的生活の沈降の徴候であって、その原因は常に、住宅気候に帰すことが出来るものである。

    ここでなお、明らかにしなければならないことは、「座業者のヒポコンデリー」の原因を、人為的気候要素、あるいは他の生活方法の障害、すなわち運動不足などにいかなる範囲まで帰すことが出来るものなのか、   [p326]   という問題である。